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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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「芸術は、造形的自然―そうしたものがあるとして―が像を考えた通りに書かなくてはならない。つまり抵抗する素材のために否応なく生じる劣化を避けて。……いや全く、私達(画家)が直接に目で描けないとは。目から腕を経て絵筆に至る長い道のりにおいて、どれだけ多くのものが失われることか。……もし、ラファエロが不幸にして手なくして生まれたとして、彼は絵の最大の天才ではなかったという事があろうか」
コンティ(レッシングの戯曲「エミーリア・ガロッティ」を見て)

直接に目で描けたら素晴らしいけど、それが出来ないから画家は懊悩煩悶するのだよ。自分の想いを伝える手段がそれしかない事をわかってるから。でも「多くのものが失われる」と同時に「少しのものが付加されている」可能性も捨てずにいたいとも思う
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「好き」も「嫌い」も好き
淡交社、アメリア・アレナス「なぜ、これがアートなの?」読了。題名の軽さに似合わず内容が濃かった…抽象画は僕の 想像以上に神経を使って描いているのだと言う事、鑑賞者にある程度の眼が必要だとわかった。でもカラー印刷なのに色の違いが少しわかりにくい…

ソフィ・カルの「盲目の人々」と言う作品、生まれた時から目の見えない人達のポートレイト、文章、その人が美と感じた写真で作られたインスタレーション。文章はその人達に「美とはなんですか」を聞いた答えが書かれている

子供「緑色ってきれい。だって僕が好きになるものは、いつでも緑色をしているんだって。草は緑色、木も葉っぱも自然も……。緑の服を着るのも好き」
父親 「夢の中で私の子供を見た。彼は十歳。パジャマを着ていた。私を見て微笑み、私に向かって歩いてきた。とてもきれいだと思った」
本文から抜粋

最初はすごく残酷な質問だと思った。目が見えないのに見えるものを「美」の対象にしているんだという事に何とも言えないような気持ちになって、彼等が言っている事を考えていたらなんか涙が出てきた。すごく綺麗だと思った。見えないのに、見えるんだ。美しい事は眼だけのものじゃないんだと再認識した

「西洋にとっての光とは目に見えぬ世界に入るための道である」とルネ・ユイグ先生は言っている。これは、西洋では「神」は「光」で表現されたり、聖人の頭上に光輪が表現されるようなものを指していると思われる。もしくはステンドグラスの光の取り入れ方なんかも同じだと思う

要するに「光」は西洋の「霊性(ここで言う霊性っていうのは日本美術みたいな自然に対する霊性ではなく、飽くまで神の存在に対する霊性であってそこが日本 の認識と少し違うと思われる)に接触する事が出来る手段と見做している。でも日本の仏像なんかでも光輪表現はあるんだよね

だから多分世界中で光=神という認識は大きいんじゃないかと思う。太陽神を崇める習慣というのはきっと農業に関する祭事に関連していると思うし、広義すれば光信仰と結びついていくんじゃないかというのは僕の勝手な考え方。この辺は民俗学になりそうなのでここまでにして

日本画は線的表現、西洋画は面的表現というのは結構有名かも知れないけど、確か油彩画が本格的に展開してきたのってルネサンスらへんからだったっけ。それ 以前はテンペラと油彩のごたまぜだった気がするけど、少し曖昧。でも確か北欧ルネサンスあたりの画家達が頑張ってくれてたような気がする

油彩画というのは油で溶いて色を薄くする事も出来るので、ルネサンスの写実表現や遠近法なんかの発展にとても貢献できた。写実表現というのは材質感(ざらざらとかつるつるとか)に重きを置いているので、それを的確に表現するには光と影を捉える必要があったという訳になる

そのためには線で捉える(日本画的)形態表現を光の表現のために犠牲にする事もある訳で、その代表的作例がカラヴァッジョになる。見ればわかると思うけど、明暗の表現がすごい。「照明を表現するために形態は抹殺しなければならない」

ちなみにカラヴァッジョは画家として尊敬する人の一人。ああいう明暗表現出来るようになりたい。こういうの鉛筆で描けるようになりたいんだけど、鉛筆とい う画材は線的表現極まりないのでちょっと難しいかな…絵筆なら面表現が可能だから形態の抹殺も出来るけど、鉛筆は抹殺に至らない

ルネサンスはどちらかと言うとカラヴァッジョやレオナルドを見ても絵が全体的に暗いんだよね。光の表現と言えば印象派になるだろうけど、これは完全に光が 勝利したパターン。視覚の感ずる光の変化だけに重点を捉えてる、と。ルネサンスから印象派で400年位あるからもっと色んな変化あるけど…

ここで最初言ってた事に戻るけど、光は人間を持ってして神に近付く事を可能ならしめた存在であり、純粋な精神性をもった性格をしているという事になる。こ の辺りからは神学に関係してきてしまうので、仏教を基軸にした日本画とキリスト教を基軸にした西洋画は画家(画工)の心持ちが全然違う

「物質の完全さやさらに美をも構成するものは光である。光は存しうる最も純粋な本体であり最も崇高な美であり、その存在が至上の喜びを生み出すようなものである」神学者 ロベール・グロステスト(Robert Grosseteste)

この国で「宗教が云々」と言ってしまうととても変な目で見られがちだけど、やっぱり芸術と宗教は切っても切れない関係にあると思う。芸術は卑俗なものでさえも神聖性を持たせてくれる。神聖なものは美しく、美しいものは神聖であり、それはもはや信仰に値する

Arbeit Macht Frei.という事ですね。自由は収容所にもなり得る
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