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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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「複製技術は、これまで一回限りの作品の代わりに、同一の作品を大量に出現させるし、こうして作られた複製品をそれぞれ特殊な状況の下にある受け手の方に近づける事によって、一種のアクチュアリティを生み出している」ヴァルター・ベンヤミン

今日芸術品は複製技術によってとても手軽に鑑賞できるようになった。よって現物を見る事は無くなった。脳内で出来上がったイメージを持って現物に近付き、 芸術的作品の一種の「欠陥(小さかったり破損してたり)」を発見し、逆に作品の鑑賞を妨げる。よって作品のアウラが失われる

多分ほとんどの人が実際の「モナリザ」を見ても大して感動しないと思うんだ。僕も含めて。あまりにあの絵を見過ぎているから、かえってサイズの小ささが目立ったりするもんだよ。本来の畏怖はもう失われてしまった。で、それがベアット・ヴィースはこの作品(イカロスの墜落のある風景)で思ったという事だ

ルネサンスは世界地図や地球儀といった世界観がはっきりした時代。人間が世界を上空から見る一種の神視点を手に入れた事で、物事の儚さを悟ってしまった時 代(=ヴァニタス)。イカロスは太陽(神)に近付き過ぎて死んだ、天使に成り損ねた少年だった。ブリューゲルは彼の翼を消し去り、海に叩きつけた

ゴッホが太陽を見つめ続ける「ひまわり」を描いたのと同じように。ひまわりは太陽に向かって背を伸ばし続け、仕舞にはその首を折ってしまう。ゴッホ自身と同じように。太陽や天に憧憬を馳せるものは燃え尽きるように消えていってしまう

結局、絵画表現がキャンバスから離れてしまった現代では複写なくしては表出される事もなくなった。筆を持たずに絵の描ける時代、作品の正しい有様とは。果たしてアウラはコンピュータの中にあるだろうか。ベンヤミンなら現代のアート(芸術)を見てどう思うかな

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