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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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画家と絵描きと絵師って意味違うの?

ネットでイラストを公開してる人達は画家というよりも自称絵描き、他称絵師と言われている事が多く感じる。じゃあ画家は?というと職業として描いている人 かと思ったけど、プロのイラストレーターは画家とは呼ばれず、絵師と呼ばれていたりする。じゃあ画家って何?という事になったのです

油彩や水彩を手掛ける人は、それぞれ油彩画家、水彩画家、日本画を手掛ける人は日本画家、洋画を手掛ける人は洋画家と呼ばれる、要するに一般的に絵画を制作する人の事を指す。そうなると再び「どこからが絵画?」の問題に正面衝突してしまう

辞書で括ると、画家「絵画を制作する者の総称」、絵師「浮世絵の原画を描く事を職業にする人」「1990年代末頃から使われるようになった用法で、主に日本の漫画やアニメ、ゲーム風の範疇に入る絵を描く画家(イラストレーター)のこと」、絵描きと言う言葉の厳密な定義はないみたい
近年、サブカルチャーの世界において、イラストを描いている者も「絵師」と呼ばれていることがある。主に作品を鑑賞する側から敬称の1つとして使われる言葉であり、先述の日本画家などと同じく「技能に長けた者を意味する『師』」が用いられていることからもその側面をうかがい知ることができる。 よって絵師自身が「絵師」と名乗ることはほとんどなく、「絵描き」「絵師の中の人」などと自らを呼んでいることが多い。(wikipedia「絵師」項目引用)
つまり、ハイカルチャーかサブカルチャーかと言う点が大きな問題みたい
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「芸術は、造形的自然―そうしたものがあるとして―が像を考えた通りに書かなくてはならない。つまり抵抗する素材のために否応なく生じる劣化を避けて。……いや全く、私達(画家)が直接に目で描けないとは。目から腕を経て絵筆に至る長い道のりにおいて、どれだけ多くのものが失われることか。……もし、ラファエロが不幸にして手なくして生まれたとして、彼は絵の最大の天才ではなかったという事があろうか」
コンティ(レッシングの戯曲「エミーリア・ガロッティ」を見て)

直接に目で描けたら素晴らしいけど、それが出来ないから画家は懊悩煩悶するのだよ。自分の想いを伝える手段がそれしかない事をわかってるから。でも「多くのものが失われる」と同時に「少しのものが付加されている」可能性も捨てずにいたいとも思う
「西洋にとっての光とは目に見えぬ世界に入るための道である」とルネ・ユイグ先生は言っている。これは、西洋では「神」は「光」で表現されたり、聖人の頭上に光輪が表現されるようなものを指していると思われる。もしくはステンドグラスの光の取り入れ方なんかも同じだと思う

要するに「光」は西洋の「霊性(ここで言う霊性っていうのは日本美術みたいな自然に対する霊性ではなく、飽くまで神の存在に対する霊性であってそこが日本 の認識と少し違うと思われる)に接触する事が出来る手段と見做している。でも日本の仏像なんかでも光輪表現はあるんだよね

だから多分世界中で光=神という認識は大きいんじゃないかと思う。太陽神を崇める習慣というのはきっと農業に関する祭事に関連していると思うし、広義すれば光信仰と結びついていくんじゃないかというのは僕の勝手な考え方。この辺は民俗学になりそうなのでここまでにして

日本画は線的表現、西洋画は面的表現というのは結構有名かも知れないけど、確か油彩画が本格的に展開してきたのってルネサンスらへんからだったっけ。それ 以前はテンペラと油彩のごたまぜだった気がするけど、少し曖昧。でも確か北欧ルネサンスあたりの画家達が頑張ってくれてたような気がする

油彩画というのは油で溶いて色を薄くする事も出来るので、ルネサンスの写実表現や遠近法なんかの発展にとても貢献できた。写実表現というのは材質感(ざらざらとかつるつるとか)に重きを置いているので、それを的確に表現するには光と影を捉える必要があったという訳になる

そのためには線で捉える(日本画的)形態表現を光の表現のために犠牲にする事もある訳で、その代表的作例がカラヴァッジョになる。見ればわかると思うけど、明暗の表現がすごい。「照明を表現するために形態は抹殺しなければならない」

ちなみにカラヴァッジョは画家として尊敬する人の一人。ああいう明暗表現出来るようになりたい。こういうの鉛筆で描けるようになりたいんだけど、鉛筆とい う画材は線的表現極まりないのでちょっと難しいかな…絵筆なら面表現が可能だから形態の抹殺も出来るけど、鉛筆は抹殺に至らない

ルネサンスはどちらかと言うとカラヴァッジョやレオナルドを見ても絵が全体的に暗いんだよね。光の表現と言えば印象派になるだろうけど、これは完全に光が 勝利したパターン。視覚の感ずる光の変化だけに重点を捉えてる、と。ルネサンスから印象派で400年位あるからもっと色んな変化あるけど…

ここで最初言ってた事に戻るけど、光は人間を持ってして神に近付く事を可能ならしめた存在であり、純粋な精神性をもった性格をしているという事になる。こ の辺りからは神学に関係してきてしまうので、仏教を基軸にした日本画とキリスト教を基軸にした西洋画は画家(画工)の心持ちが全然違う

「物質の完全さやさらに美をも構成するものは光である。光は存しうる最も純粋な本体であり最も崇高な美であり、その存在が至上の喜びを生み出すようなものである」神学者 ロベール・グロステスト(Robert Grosseteste)

この国で「宗教が云々」と言ってしまうととても変な目で見られがちだけど、やっぱり芸術と宗教は切っても切れない関係にあると思う。芸術は卑俗なものでさえも神聖性を持たせてくれる。神聖なものは美しく、美しいものは神聖であり、それはもはや信仰に値する

何事も興味に対する付随的業務だと思うけどな。○○大や○○社で働きたいから勉強する。お金が欲しいから働く。小説家になりたいから投稿する。絵が上手くなりたいから絵を描く。それで良いんじゃない?やらない人は沢山いるだろうしやる人もいるだろうし、何もせずに望むのは業が深い気がする

まぁ僕はその業が深い側の人間なのですけれど。知らない間に手に入ってたらそれほど素晴らしい事はない

デッサンや彩色というのは絵を描く事の基礎だと思うし、それを疎かにしてアウトサイダーアーティストをきどるような人達には若干軽侮の念を抱いてしまうか も。でも今の僕は鑑賞者の立場で言ったり画家の立場で言ったりしてるからあんまり気にしないで。僕も疎かにしてる事ばかりだから
「巧い画家は自分の絵をいかに組み立てるべきかを心得ているものだ。色彩の調和に対する細やかな感覚を備えているし、色彩の不調和を活用する大胆な感覚も持っている。そして伝統の強みを意識していると同時に、その限界も知っている」スーザン・ウッドフォード

絵画の見方
その1、この絵は何のために描かれたか考える
その2、個々の絵がそれを生み出した文化についてどんな事を伝えているかを考える
その3、写実度の度合いに注目する
その4、デザイン、つまり形態や色彩が画中にパターンを生み出すために用いられているやり方について考える

女性は難しい。女性特有の柔らかさや丸みは本当に難しい、子供も。特に皮膚のきめ細やかな感じは絶対にミス出来ない。ミスしたら女性に傷を付けてるみたいだから。そんなこんなで神経遣う

正直言うと男性の理想体型は古代からそこまで大きく変わってないのに、女性の理想体型は古代と現代で変わり過ぎてモデルが見つからないんだよ

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