ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。
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飽き性だからいきなりやめるかも
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新潮社、ミシェル・フーコー「監獄の誕生―監視と処罰―」読了。フーコーによる権力論の本。ヨーロッパにおける刑罰は身体刑(四つ裂きや車引き)から監獄へ収監する精神刑へと変わっていった。それによって新しい権力作用が出てきたという。日本の刑罰も歴史的には同じだよね
死刑を賛美するような人達に対して自分は何故か肯定的になれなくて、ベッカリーアがその理由を述べていると思う。「殺人行為を恐ろしい犯罪であると語っている本人が、良心に咎められもせず平然とそれを犯しているのを、われわれは目撃するのだ」かつての死刑は見世物であった
ヨーロッパって死刑執行人が世襲制だったとこが多い。だから、あの家は執行人の家系って事で疎まれる事もある。「死刑執行人を犯罪者に、裁判者は殺人者に 似ていると彼らに思わせているではないか、刑執行の最終時点になるとそれらの役割をあべこべに……受刑者を同情の的にしているではないか」
昔の死刑(身体刑)は手間がかかり過ぎて痛々しくて目を背けたくなるようなものばかりだった。結局そういう死刑は人道的観点から精神刑、すなわち監獄への収容と変わっていった。死刑も楽に死ねるようにギロチンが開発されたりした。さらにそこから監視や規律といったものも作られる
監視や規律となると監獄だけじゃなくて、学校や病院も一種の監獄みたいな事になる。ここでフーコーはベンサムの一望監視方式(パノプティコン)を例に挙げ ている。いつ、誰に見られているかわからない、常に監視されているかもしれない中で人は規律を守る。これが新しい権力作用をもたらしている
イギリスでは一日に100台の監視カメラに見られるらしい。いつ、誰に見られているかわからない。そういった意味では社会も一種のパノプティコンなんだろうなと思いました。だが、それでも犯罪は起こる。監獄の中だって監視されていても犯罪は起こる訳でな、うーん
監獄と社会の何が違うんだろうか。犯罪者を一定の場所に閉じ込めてしっかりした監視体制でそれが「安心」だろうか。どっちにとっての安心だろう。社会だっ て変わりない。一定の場所から人間なんてたいして動かない訳だし、現代は監視カメラがある。規律を守る事が規律なのだから、何も変わらない
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