ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。
読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。
飽き性だからいきなりやめるかも
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民俗民芸双書、桜井徳太郎「宗教と民俗学」読了。題名そのまま、日本の宗教と民俗についての論文集。まえがき「むしろ両学問(宗教と民俗)を融合させた宗教民俗学とも称 すべき、ひとつのジャンルが確立されねばならない」とある。これ出版した1969年には宗教民俗学という言葉がなかった様子
日本には大きく分類し、神道、仏教、キリスト教、民間信仰の4つの宗教がある。その中からさらに細分化し、○○宗とか、教祖のいない民間信仰があり、日本独自の切支丹(キリスト教とは違う宗教と言っても過言ではない)が存在している。前者3つは有名どころだが、最後のは身近過ぎて何も意識してない
そもそも日本は神仏習合、鎖国下秘密裏に行われていた仏教とキリスト教の融合、開国後の神仏分離など、宗教なんてぶれまくりなので、今更クリスマスはキリ スト教だからアレだとか、正月は初詣行ってないからアレだとか、ハロウィンなんてアメリカ文化出しやがってだとか、どーでもいいんだよ
この宗教観ぶれまくりなところは日本の地理的な問題も関係していると桜井さんは言っている。仏教もキリスト教もユーラシア大陸から伝播されたものであっ て、極東の小国は一種の吹き溜まり的袋小路。さらに細部を見ても、日本は山あり谷あり川ありの地形で東西南北で全く違う文化を持っている
そんな環境から様々な第一次産業に従事してきた日本民族(昔話でも農家や漁師や漁師はいたけど、鍛冶屋とか見ない)は個々の守護神に対する信仰を作ってき た。これは産業革命が遅かった事から結構尾を引いて残っている。さらには日本民族の異教に対する寛容的民族性も関係している
日本の宗教観ぶれまくりなとこが如実に出ている例として門松を例に出している。正月に門松を出す訳を説明できる日本人ってどれだけいる?神社の鳥居に注連 縄を張る理由は?浅草で線香の煙を浴びるのはどうして?僕は曖昧にしかわからない、てかほぼわからない。皆日常的過ぎて気にも留めない
同じような事ってクリスマスやハロウィンにも言える事。クリスマスにわざわざモミの木を飾る理由は?かぼちゃの収穫期って夏なのに何故ハロウィンに使うの か?現代において門松は一種の装飾品になっている。ツリーもかぼちゃも同じように装飾品。まぁ、それが可愛くて盛り上がるんだけどね
門松って正月セール中のデパートとか置いてあるけど、そういう信仰に篤いと思われる田舎って案外置かない風習が多いらしい。代わりに榊や杉や椿を立てると こもあるとか。常緑樹なら何でもいいのかと思ったら、地方によって栗や楢(ナラの木)のとこもあるんだって。同様に雑煮を食べないとこもあるとか
要するに門松は地鎮祭みたいな歳神の拠り所であって、松じゃなくても榊や杉や椿みたいな常盤木でも栗や楢みたいな落葉樹でも忌み木(無花果とか柘榴は実が 裂けるから良くなかったりする)じゃなけりゃ何でも良いと。地域で色々あったけど、神道による統制する動きが起こった(神仏分離)
そんで門松にしちゃえよって事で規制された。今の門松のスタイルはわりと新しいみたい。でも辺鄙なところはその規制が行き届かず(日本の地理的に難し い)、生き残った。そんなこんなでずれが生じる。ずれは辻褄合わせしなきゃならない。そこで古い伝説と結びつけ、新たな伝説へ…という感じ
でも、これだけ色々な規制を受けても風習が残っているんだから、日本人の信仰心ってすごく深いと思う。多神教云々というよりも「崇敬の対象なら神も仏もキ リストも釈迦も」それだけじゃなく、木や山や海も、偉大なものに対する信仰心が篤いなぁと。むしろ自然に入り込み過ぎているんだろうなぁ
日本には大きく分類し、神道、仏教、キリスト教、民間信仰の4つの宗教がある。その中からさらに細分化し、○○宗とか、教祖のいない民間信仰があり、日本独自の切支丹(キリスト教とは違う宗教と言っても過言ではない)が存在している。前者3つは有名どころだが、最後のは身近過ぎて何も意識してない
そもそも日本は神仏習合、鎖国下秘密裏に行われていた仏教とキリスト教の融合、開国後の神仏分離など、宗教なんてぶれまくりなので、今更クリスマスはキリ スト教だからアレだとか、正月は初詣行ってないからアレだとか、ハロウィンなんてアメリカ文化出しやがってだとか、どーでもいいんだよ
この宗教観ぶれまくりなところは日本の地理的な問題も関係していると桜井さんは言っている。仏教もキリスト教もユーラシア大陸から伝播されたものであっ て、極東の小国は一種の吹き溜まり的袋小路。さらに細部を見ても、日本は山あり谷あり川ありの地形で東西南北で全く違う文化を持っている
そんな環境から様々な第一次産業に従事してきた日本民族(昔話でも農家や漁師や漁師はいたけど、鍛冶屋とか見ない)は個々の守護神に対する信仰を作ってき た。これは産業革命が遅かった事から結構尾を引いて残っている。さらには日本民族の異教に対する寛容的民族性も関係している
日本の宗教観ぶれまくりなとこが如実に出ている例として門松を例に出している。正月に門松を出す訳を説明できる日本人ってどれだけいる?神社の鳥居に注連 縄を張る理由は?浅草で線香の煙を浴びるのはどうして?僕は曖昧にしかわからない、てかほぼわからない。皆日常的過ぎて気にも留めない
同じような事ってクリスマスやハロウィンにも言える事。クリスマスにわざわざモミの木を飾る理由は?かぼちゃの収穫期って夏なのに何故ハロウィンに使うの か?現代において門松は一種の装飾品になっている。ツリーもかぼちゃも同じように装飾品。まぁ、それが可愛くて盛り上がるんだけどね
門松って正月セール中のデパートとか置いてあるけど、そういう信仰に篤いと思われる田舎って案外置かない風習が多いらしい。代わりに榊や杉や椿を立てると こもあるとか。常緑樹なら何でもいいのかと思ったら、地方によって栗や楢(ナラの木)のとこもあるんだって。同様に雑煮を食べないとこもあるとか
要するに門松は地鎮祭みたいな歳神の拠り所であって、松じゃなくても榊や杉や椿みたいな常盤木でも栗や楢みたいな落葉樹でも忌み木(無花果とか柘榴は実が 裂けるから良くなかったりする)じゃなけりゃ何でも良いと。地域で色々あったけど、神道による統制する動きが起こった(神仏分離)
そんで門松にしちゃえよって事で規制された。今の門松のスタイルはわりと新しいみたい。でも辺鄙なところはその規制が行き届かず(日本の地理的に難し い)、生き残った。そんなこんなでずれが生じる。ずれは辻褄合わせしなきゃならない。そこで古い伝説と結びつけ、新たな伝説へ…という感じ
でも、これだけ色々な規制を受けても風習が残っているんだから、日本人の信仰心ってすごく深いと思う。多神教云々というよりも「崇敬の対象なら神も仏もキ リストも釈迦も」それだけじゃなく、木や山や海も、偉大なものに対する信仰心が篤いなぁと。むしろ自然に入り込み過ぎているんだろうなぁ
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