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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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Vanitas vanitatum omnia vanitas.「なんという虚しさ、なんという虚しさ、全ては虚しい」
――Nihil est in rebus inane.「この世に空虚なものなど存在しない」
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生きる事が上手くなりたいと何年も前から願っているけど、未だに少しの進歩もしないで架空の救済ばかり求めてさ。苦痛は美徳ではないとわかっているのに

苦労なんてくだらない。そこに価値を見出だすなんてただの負け惜しみに過ぎない。汗は汗であって結晶には成り得ない。理解しながらそれを続ける。無価値に価値を見出だす事は美徳だと信じられているから。僕はしばしそれに酔う。それが堪らなく、不快

学生は楽だとか、楽だから学生だとかいう浅薄な人間にはなりたくないと思う程度には若いよ。無論悪い意味で。だがそれがいかに愚かしい事か。学生は楽です、利口じゃないから苦しむ事になる。そこに知能は関係無い

全部忘れて虚像にする才能位はあるかもしれない

バベルの塔って人間がまだ同じ言葉を話していた時、神様に近付きたくて造った建物だけど、人間関係ってそれと似ている。どちらかが神様でどちらかがニムロデになる。近付こうとして混乱が起きて、心のどこかに触れて、結局言葉が通じなくなってしまう

感情の構築は煉瓦で出来ますか、亀裂はアスファルトで埋められるのでしょうか。人間は神様じゃないから、この場合はどちらの傲慢にも成り得る。聖書ではバベルの塔は崩壊したと書かれてないけど、届きそうな所で届かず、感情の高みには限界があるのだと思い知らされる

こんな事、考えた所で
この間少し興味を引いたのは休養や娯楽(recreation)は再創造(re-creation)であるという事。子供達は遊ぶ事で新しい世界を創るのである。天使は子供の姿で表現される。子が世界を担うというのは理である
感動や情動に共感される事で、感動が解体され、引き裂かれてしまうのが不快なのだろう。強大な力としての情動を抱え込み、制御不能になるまで肥えさせ、溢れさせるのを望んでいる。だが、その自己破壊を望まない理性が私の情動を希薄にしていくのだ
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