ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。
読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。
飽き性だからいきなりやめるかも
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法蔵館、ジョン・ラスキン「風景の思想とモラル【近代画家論・風景編】」読了。全5巻ある「近代画家論」の中の第3巻で最初に出版されたもの。だけど、現在出版されているのは3冊だけなので4、5巻は出版されてないみたい
この章までだと、風景画にはほとんど触れてなくて近代画家論に近い。偉大な絵画とは何かと語り、我々が偉大とする絵画には4つの誤謬があるとし、その誤説 の方向を指摘しているんだけど…難しいんだな、わかるようなわかんないような…もっともラスキン自身が19世紀の人だというのもあるだろうけど
4つの誤謬
1「画布が広い」
2「上品に装われた身体よりも裸体を描く事」
3「画家が見た事ないものや知らないものを描く事」
4「神聖な叡知が創造したものの全ての粗捜しや改善する努力」
これは現在でも言えている。キャンバスが大きいだけで偉いみたいな風潮はあると思う
例えば、できるだけ多くの美を取り入れる事は見た目には美しいが、真実を犠牲にしたともいえる。順位をつけるとすれば、
美しい人物を描いたレオナルド>精神的美を描いたコレッジオ>真実に配慮するデューラー>堕落崇拝画家
となる。それは誤謬になるのではないだろうか
ならば、真実を無視して美はどのように探究すればいいのか。そこで「虚偽の理想」という考え方を提示し、さらに想像力は真実を扱う際にはどのように現れるか(例えば歴史的絵画における真実と想像力の問題)という「真実の理想」という考えを提示した
で、虚偽の理想の種類として、宗教的理想と冒瀆、真実の理想の種類として、善を選び悪から離れる「純粋追求」、善悪の両方を受容する「自然追求」、悪を選び善から離れる「官能(醜悪=グロテスク)追求」にラスキンは分類し、各々の説明というのが8章までの内容
終わりまで一応読めた…けど、正直僕はこの本についての感想があんまり書けない。19世紀と現代の美術の考え方は随分違うなと考え直すには良い機会かもしれないけど
現代ではフランドル絵画は正当な評価をされているけど、19世紀では全然そんな事なくて、特に農民画の地位は酷いもんだった。で、叩いてるっていうか、これが当時の時代の流れだから仕方ないのだけど、なんか少し可哀想になってしまった…
この本の中で終始出てくるのがロマン主義の風景画家ウィリアム・ターナー。これでもかっていう位出てくる。そんなに好きかっていう位出てくる。なのでター ナー好きな人は読んでも良いと思う。絵具の会社でターナーってあるけど、多分この人が由来だろうし、ターナー絵具使ってる人も読んでみたら
ちなみにラスキンはアリス・リデル(ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」のモデルの女の子)の絵の先生してたらしいよ。しかもラスキンは幼女趣味だったとか(ソースはwiki)むしろアリスの魅力の方がすごい
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