ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。
読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。
飽き性だからいきなりやめるかも
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La Biblioteca di Babeleシリーズ第29巻、ヴィリエ・ド・リラダン「最後の宴の客」読了。釜山健と井上輝夫が訳しているのだが、読解力がそこまで落ちたのかと思われるほど訳わからん文章があり、要約も危うい。確認したらだいたい井上氏の訳で、本書において悪訳に定評が…
表題「最後の宴の客」(井上)他、「希望」(釜山)「ツェ・イ・ラの冒険」(井上)「賭金」(井上)「王妃イザボー」(釜山)「暗い話、語り手はなおも暗くて」(釜山)「ヴェラ」(井上)の7編収録。題名の後の()内は翻訳者の名前。個人的な話の好みもあるけど
気に入ったのは「希望」と「ヴェラ」の2つかな。「ヴェラ」は「フランス短篇傑作選」にも収録されているけど、そちらは訳が山田稔に対し、こちらは井上 氏。「ヴェラ」の訳に関しては井上氏の訳の方が詩的な感じがして美しいと思う。特に山田氏の訳だと腹上死という事がわかりにくかった印象だったので
主人公のダトール伯爵が山田氏の訳だと、性格がきつく子供っぽい印象で、その性格からヴェラの死を受け入れられないような感じだった(よってヴェラが姉さ ん女房のイメージだった)が、井上氏の訳だと年相応の言い回しが好印象だった。一応30~35の設定だし、それなりに大人びてほしい訳よ
ヴェラの台詞はほぼないので、ダトール伯爵の言い回しで印象が全然違う。山田氏の訳では夢で見たヴェラの幻を「子供だなあ」と言っているのに対し、井上氏は 「愛しいいたずらっ子」と表現している。山田氏の訳だとヴェラの方が年上に感じ、井上氏の訳だと年下に感じるのは僕だけだろうか
原文ではEnfant!(子供)って言っているだけなので、訳者次第で全然違うなぁと実感した。なんとなく英訳も見てみたらそっちはPoor child!って言ってた。井上派か
「希望」はポーの「落し穴と振り子」の精神的対比のようなものみたい。この話はバベルシリーズの11巻に入っているのでそちらもご参照ください。でも、「落し穴と振り子」よりも「希望」の方が好きだなぁ。「落し穴と振り子」は鼠の描写がなんかやだ
「希望」は死刑宣告をされたユダヤ人囚人の話。高利貸等の罪で死刑宣告された男だが、裁判長が地下牢から出て行った後、施錠が甘かったのか微かな光が見え た事に気付く。この光は希望そのものであり、男は牢獄からの脱走を試みる…ラストが秀逸である。ちょっと鳥肌立っちゃったよ
「ポーの場合、恐怖は肉体的なものであるのに対して、リラダンはもっと微妙で、精神的恐怖の地獄を我々に顕示する」とボルヘスが序文で言っている。現代の 我々にとって前者の恐怖は、娯楽の多様化の影響か文章だけで恐怖を感じるには難しい気もする。後者の方が現代でも通用する気がするのだが
表題「最後の宴の客」(井上)他、「希望」(釜山)「ツェ・イ・ラの冒険」(井上)「賭金」(井上)「王妃イザボー」(釜山)「暗い話、語り手はなおも暗くて」(釜山)「ヴェラ」(井上)の7編収録。題名の後の()内は翻訳者の名前。個人的な話の好みもあるけど
気に入ったのは「希望」と「ヴェラ」の2つかな。「ヴェラ」は「フランス短篇傑作選」にも収録されているけど、そちらは訳が山田稔に対し、こちらは井上 氏。「ヴェラ」の訳に関しては井上氏の訳の方が詩的な感じがして美しいと思う。特に山田氏の訳だと腹上死という事がわかりにくかった印象だったので
主人公のダトール伯爵が山田氏の訳だと、性格がきつく子供っぽい印象で、その性格からヴェラの死を受け入れられないような感じだった(よってヴェラが姉さ ん女房のイメージだった)が、井上氏の訳だと年相応の言い回しが好印象だった。一応30~35の設定だし、それなりに大人びてほしい訳よ
ヴェラの台詞はほぼないので、ダトール伯爵の言い回しで印象が全然違う。山田氏の訳では夢で見たヴェラの幻を「子供だなあ」と言っているのに対し、井上氏は 「愛しいいたずらっ子」と表現している。山田氏の訳だとヴェラの方が年上に感じ、井上氏の訳だと年下に感じるのは僕だけだろうか
原文ではEnfant!(子供)って言っているだけなので、訳者次第で全然違うなぁと実感した。なんとなく英訳も見てみたらそっちはPoor child!って言ってた。井上派か
「希望」はポーの「落し穴と振り子」の精神的対比のようなものみたい。この話はバベルシリーズの11巻に入っているのでそちらもご参照ください。でも、「落し穴と振り子」よりも「希望」の方が好きだなぁ。「落し穴と振り子」は鼠の描写がなんかやだ
「希望」は死刑宣告をされたユダヤ人囚人の話。高利貸等の罪で死刑宣告された男だが、裁判長が地下牢から出て行った後、施錠が甘かったのか微かな光が見え た事に気付く。この光は希望そのものであり、男は牢獄からの脱走を試みる…ラストが秀逸である。ちょっと鳥肌立っちゃったよ
「ポーの場合、恐怖は肉体的なものであるのに対して、リラダンはもっと微妙で、精神的恐怖の地獄を我々に顕示する」とボルヘスが序文で言っている。現代の 我々にとって前者の恐怖は、娯楽の多様化の影響か文章だけで恐怖を感じるには難しい気もする。後者の方が現代でも通用する気がするのだが
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