ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。
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飽き性だからいきなりやめるかも
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岩波文庫、マーク・トウェイン「人間とは何か」読了。トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンで有名なトウェインの晩年の作品。厭世的な老人とそんな事ないって言う 青年の対話形式で書かれたエッセイ。とてもじゃないけど、同じ作者が書いたように思えない、かもしれない(読んだ事無いから知らん)
「人間が全く環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械にすぎない」事を論証する(表紙より)と書いてある通り、人間機械論を展開させていく。この頃 のトウェインは莫大な借財、長女の死、末娘のてんかん、妻の重病と悪い事続きで、参りに参り、厭世的になってしまったらしい
人間の行動は自分自身の安心感、心の慰めを求めるという以外には絶対にありえない。全ては自己満足、自己陶酔の現われであり、自己犠牲などありえない。と いう結論は最初の方で言われるので、後の方は青年の反論に老人が答えていく。愛や優しさも全ては自己満足なのである、極論だが否定出来ぬ
だいたいの人って悲観的か楽観的かの2種類に分けられると思うんだけど、その立場によって読了後の感想が変わるかも。僕は悲観的なので諦観という意味で安 心も覚えた、熱血漢だと落ち込むかも。対話形式と言う事もあって、作者の中の悲観主義と楽観主義が葛藤しているようにも思えるんだ
序盤で「一切のものには限界がある――鉄鉱石を黄金にするまでの教育は不可能」という文がある。これは、金属が金や錫、銅、鉛とあるように、人間も「本性、遺伝性、訓練、環境といった点で限界がある」という事、要するに持って生まれたものは変えられない訳で…
なんとなく若い時の自分に向けて、老齢になったトウェインが語っているような内容にも思える。個人的にこのエッセイはトウェイン自身が自分を慰める(自己 満足の)ために書いたものであるような感じがする。悲観主義の向こうに見える楽観主義というか。諦観って絶望的だけどある意味安寧だと思う
そもそもトウェインは楽観主義だったんでなかろうか。わからぬが。訳者が「不思議な少年」も読めと言っているので、また興味があった時に
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