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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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歌川広重「月に雁」短冊型の多色刷り版画。江戸時代後期の代表的な浮世絵師には葛飾北斎と歌川広重が挙げられる。この二人の版画を比較してみると、最初に刷られる主版に大きな違いが見られる

北斎の代表作「冨嶽三十六景」の主版はほぼ輪郭線で構成されており、全体の構図が明瞭である。一方広重の作品には最初の刷りだけでは全体像がわからないも のも多く、人物像の輪郭がないものも多い。「月に雁」の月は和紙の白を用いて表現している。北斎が線の画家ならば、広重は面の画家とも言える

さらに北斎は風景画だけでなく漫画や化物絵、美人画、さらには春画と描く事を追求した。一方で広重は風景画を追求した画家であった。北斎が万能の天才なら ば、広重は風景画の天才であった。また独特なアングルを用いて描いた作品も多く、まるでカメラマンのように時間や季節の一瞬を捉えている

「月に雁」に押された馬と鹿をかたどったハンコは馬を寿に鹿を福に見立て、福寿の印として判を押している。さらに作品に描かれている雁(かり=ガン)は日本に訪れるどの雁とも一致しておらず、さらに前のめりの形で地上へ降り立つ事や、飛びながら後ろを振り向く事はない

この事からこの雁は広重の理想を描いたものだと判断する事ができる。当時の人々は雁が彼岸の頃に訪れ、彼岸の頃に帰る事から仏の使いとして見ていた。絵に書かれた「こんな夜が またとあろうか 月と雁」絵師の理想の風景と共になにか心情のようなものを感じられる作品である
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アダラージの階段井戸やばい格好良い。動物や人間を彫ったヒンドゥー教彫刻と、精密で幾何学的なイスラム教彫刻との融合。世界で最も美しい井戸と呼ばれている。個人的にバベルの図書館のイメージはこんな感じ。階段井戸は八角形みたいだけど
ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」はジェリコーの「メデュース号の筏」の三角構図を参考にしている。フリジア帽は開放奴隷の象徴。胸をはだけているのは母なる大地の象徴。アメリカの自由の女神のモデルはヘリオス

ドラクロワは上級階級であり市民革命には参加していなかった。色彩本意の描き方はアカデミーの批判を食らった。女神の姿は民衆に見えていないが女神の足許 のトリコロールの服を纏った男。女神もその存在に気付いている。これはドラクロワ自身、絵画の革命を女神に導いてもらいたいと思っていた
勘亭流(歌舞伎の文字)は始まりから千秋楽まで何事もないようにトメ、ハネのメリハリをつけず丸みを持った文字で書かれる。また空白を埋めるように太く書く事で空席をなくす(満席)という意味を持たせる。フォントにも入ってるもんね、たかが文字でも意味があるんだね
パウル・クレーの都市画の上空には円盤が描かれていた。それは絶望と希望、死と救済といった相反する諸観念のせめぎ合いの具象であった。晩年、彼の作品は 都市画から天使画へと変遷していく。天使は地の世界と天の世界の間をなす中間存在であり、より直接的な相反であったからだ

彼の描く天使の翼は明確な翼の形態をなしている訳ではない。その鋭角な二つの形は翼であり、腕の代わりであり、手の代わりである。線で描かれた翼は有機的な成長を遂げ、翼のわずかな形状の変化で天使は悪魔にもなりうるのである

ああ、いかにわたしが叫んだとて、いかなる天使が はるかの高みからそれを聞こうぞ?よし天使の列序につらなるひとりが 不意にわたしを抱きしめることがあろうとも、わたしはそのより烈しい存在に焼かれてほろびるであろう。なぜなら美は怖るべきものの始めにほかならぬのだから リルケ『ドゥイノの悲歌』
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