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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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象は世界最大の昆虫である―ガレッティ先生失言録

白水社、池内紀「象は世界最大の昆虫である ガレッティ先生失言録」読了。ゴータ王立ギムナジウムの教授であり正真正銘のインテリであるガレッティ先生の失言録。感想:やられた
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La Biblioteca di Babeleシリーズ第2巻、サキ「無口になったアン夫人」読了。
サキの書いた135短編の中から12短編を抜粋した短編集。世にも奇妙な物語を読んでいるような気分になる。現在購入できるサキの本は新潮文庫の「サキ短編集」だけかも

表題他、「お話の上手な男」「納戸部屋」「ゲイブリエル-アーネスト」「トーバモリー」「名画の額ぶち」「非安静療法」「やすらぎの里モースル・バートン」「ウズラの餌」「開けたままの窓」「スレドニ・ヴァシュター」「邪魔立てするもの」の12編収録

名前だけ知っていたけど読んだ事のなかった作家の一人。可愛い名前に似合わずブラックユーモア極まりない、昔のグリム童話や絵本を読んでいるような感じだった。「邪魔立てするもの」を読む頃にはすっかり免疫が付いて、物語を予想しながら読んでいたけどことごとく裏切られた
La Biblioteca di Babeleシリーズ第1巻、G.K.チェスタトン「アポロンの眼」読了。「三人の黙示録の騎士」「奇妙な足音」「イズレイル・ガウの名誉」「アポロンの 目」「イルシュ博士の決闘」の5編が入っているチェスタトン集で内4編がブラウン神父の話

La Biblioteca di Babeleシリーズは僕の敬愛するボルヘスが編纂した文学全集。この時点でマニアック極まりない。素晴らしい装丁。La Biblioteca di Babeleに収められるに相応しい、本の本たるやまさしくといった所(しばらくべた褒めが続く)絶対集める

チェスタトンは、というか推理小説は初めてで(ポーの「黒猫・黄金虫」は読んだけど)とっつきにくいと思ったけどそんな事なく。個人的には「奇妙な足音」 が一番良かったな。ボルヘスのチョイスが良かったのもあるだろうけど。ブラウン神父は神父に向いてないと思う(この人世界三大探偵の一人だって)
予告された殺人の記録 (新潮文庫)

新潮文庫、ガルシア・マルケス「予告された殺人の記録」読了。これ、表紙がアンソールの「仮面の中の自画像」なのだ。そのうち「百年の孤独」も読むだろうから、途中 で諦めないための入門編として読んだけど最適だと思う(ストーリーやページ数、値段的にも)。あっと言う間に読めた。ただ、名前が覚えにくい
ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読 (岩波現代文庫)

岩波現代文庫、多木浩二「ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読」読了。こないだ読んだ本に載ってたから読んでみた。巻末に「複製技術時代の芸術作品」も掲載されてたけど、気付くの遅くて色々困った。順番逆にした方が良いと思う

アウラって書くとわかりにくいけど要するにオーラ(aura)な訳ね。「事物の権威や事物に伝えられている重み」、「芸術が芸術として存在している事の謎、信念」との事だけど、文章化すると逆にわかりにくくなる気がする

「現代の大衆は、事物を自分に「近付ける」事をきわめて情熱的な関心事としていると共に、あらゆる事象の複製を手中にする事を通じて、事物の一回性を克服しようとする傾向を持っている」ヴァルター・ベンヤミン

ベンヤミンは芸術作品には礼拝的価値と展示的価値の二つの価値があるとした。礼拝的価値というのは、古来芸術作品は魔術道具として使用されていた事と関係しており、存在の重要性と関係している。一方展示的価値とは特に今日の作品において著しい「見せる」事の重要性

その変革の一端を担ったのが、写真、特に風景写真だった。ウジェーヌ・アジェは仏の写真家なんだけど、それまでの写真と言えば肖像写真が中心であり、家族 や恋人の写真を見る事で追憶するという「礼拝」の形があったけど、アジェの写真はパリの街が中心で人影がなかった=展示に重きを置いていた

映画についての論も面白かった。映画の対極は彫刻というのが納得。映画は展示的価値を重要視している最たるもの。特に映画は改良(取り直しが可能)が出来るので、一回性という意味において彫刻(削り直しが不可能)とは反対の位置にある

俳優は大衆を目前にして演技をするのではなく機械装置を前にして演技をする。「だから俳優を包むアウラは、ここでは欠落せざるをえない――したがって同時 に、彼の演ずる作中人物を包むアウラもまた」映画やレコードなんかは複製の塊だものな。ここで止めたら映画批判してるみたいだ

映画、写真といった複製芸術によって芸術は大衆に近付いたと論じている。例えばピカソの作品を見る場合とチャップリンの映画を見る場合の芸術に対する大衆の関係は全然違う。複製芸術のおかげで世の中的に芸術作品が大衆を求め始めたという事に繋がる

「映画は、環境世界の様々なものをクローズアップしたり、……、対物レンズを見事に駆使して平凡な周辺を調べ上げたりして、一方では僕等の生活を必然的に 支配しているものらへの洞察を深めさせ、他方では、これまでは思いもよらなかった巨大な遊戯空間を、僕等のために開いて見せるのだ」ヴァルター・ベンヤミン

要するに絵画や彫刻(場合によって写真。特に宗教画や肖像画)はアウラがあるが故にそこに権力を持ってしまうけど、映画は大衆の大衆による大衆のための芸術!って事と僕は解釈した。誰も特別じゃない事が良い

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