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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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恒文社、イェジ・アンジェイェフスキ「天国の門」読了。20世紀ポーランドの作家アンジェイェフスキが1960年に発表した本。代表作には「灰とダイヤモンド」っ ていうのがあるけど、このフレーズは結構あちこちで用いられていると思う。ちなみに本書ではヤツェック・ボヘンスキの「タブー」も収録されている

この人について全くの無知なのだが、最初はカトリック思想の立場から人間の心の天使と悪魔の問題に正面から取り組み、ポーランドのベルナノス(仏のカトリック作家)とも呼ばれていたそうだが、WW2を契機に思想は変わり次第に左傾、カトリックの信仰と訣別し、その後入党

スターリン治下の誤謬と逸脱の時代に批判と反省の筆を加える文学があらわれ、アンジェイェフスキが書いたのが「闇は地をおおう」と「天国の門」であるとい う、さらに発表後は脱党している。この人の思想の変遷を見ていると当時のポーランド情勢の厳しさが伝わってくるようなこないような

これは子供十字軍の遠征の歴史小説という位置付けがされている。子供十字軍というのは、ある羊飼いの少年が信託を受けたと称し、聖なる御墓を救うには 子供の力が必要であると言う事で結成されたもの(この辺はwikiに載ってなかった)。結果的に悲惨な結末を迎えてしまう訳だが

それは良いとして、この文体と言うのがとんでもなく実験的で読み難く、文章に句点を極力使用せず、約130ページの本文に対したったの2センテンス(ほぼ 1文)のみという恐ろしい文体でした。一気読みしたわ、苦行かと思ったわ。ちなみにデュヴェールの「幻想の風景」もこんな感じである

でも訳文だから悪いのである。訳者も日本語は関係代名詞がなく、文の切れ目がはっきりしてるから美しいとは言い難く気持ちが重いって言ってるし。きっと原 書なら綺麗なんだろう。ストーリーは5人の少年少女が信仰ではなく性愛によって動かされている、罪のない子供達が実は罪の塊であるという風な感じ

ただ一人行軍の指導者ヤコブのみがそういう感情とは無縁で自分が純潔だと信じている。要するに皆ヤコブを愛しているから行軍する。だがヤコブが聞いた信託 は孤児のヤコブの男色相手のルイ伯の、罪のない子供の純潔こそが聖都の解放に繋がるという固定観念の声であったという話…

文章の中には告解も含まれているので、ていうか文脈掴むの超大変だったんで(だって今誰が話してるかわかんなくなるから)あらすじ間違ってたらすみません けど、多分こんな感じ…どうしようもなく救われない話。ヤコブに罪の意識がないから余計に救われない。しかも十字軍の結末を知っていると余計に…
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続きまして、映画「パーマネント・バケーション」鑑賞。ジム・ジャームッシュ監督のデビュー作、で、大学の卒業制作。卒業制作で映画一本作っちゃうなんて すごいね。格好良いすね。格好良いって言うかクールって感じです。ジャズ全然聞きませんが、ジャズ聞きたくなります。特にラストの会話が格好ry
新潮社、トニー・デュヴェール「薔薇日記」読了。「フランス短篇傑作選」を読んだ時から目を付けていた作家。じゃなきゃこの作家は多分どマイナーも良い所だと思うんだ(あとがきにもそう書いてあったし)。「フランス短篇傑作選」には「小鳥の園芸師」というか「さまざまな生業」という短編が収録されてる

その中の「裁き屋」っていう短編が「罪をおかしたくてたまらなくなると、まず牢屋へ行った」っていう書き出しなんだけど、すごい書き出しだと思いません か。入獄して、幾日かもしくは幾年か経つと出獄し、裁き屋の店に行って犯罪を選んでから罪を犯すというシステム。短編じゃ勿体ない位

で、こりゃ読まねばという訳で買った本が「薔薇日記」(「小鳥の園芸師」はとても高かった)。「フランス短篇傑作選」のあとがきを読んだ時に小児性愛を扱っている作家との事で身構えてたけど(興味半分もあったけど)、裏切らなかったし想像以上だった

文章のほとんどが少年との交流(深い意味も込めて)で、あとがきにもあるが全くケレン味のない文面で、普通の男女間のそれと同じように扱われている。ここで書かれる少年達は「病める大人たちの世界、現実の象徴」であるとの事。確かにここに出てくるごくわずかな大人達は皆良くない人達だった…

作者のトニー・デュヴェールはフランスでも経歴がほとんどわからない作家で、ぐぐっても全然情報が出てこないので、何故こういう作風になったのかとか、作者の背景が僕にはさっぱりわかりません。一応wikiには自伝的小説って書かれてるけど、本当だとしたらすごいな

「謹厳居士にとって、性の悦びはこの世のあらゆるものと異なったひからびた菓子であるが、わたしにとっては社会生活そのもの、糧そのものである。……男色を堪能することを妨げられないならば、わたしは乞食になろうと、強制労働者になろうとかまわない」トニー・デュヴェール
電子書籍、宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」「黄いろのトマト」「植物医師」「チュウリップの幻術」「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」「ペンネンノルデはいまはいないよ 太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ」読了。久し振りに本読めたよ

「グスコーブドリの伝記」は子供の時にアニメを見た事があった。結構悲しいラストだったように記憶しているのだけれど、原作はそこまで具体的に描写する訳ではなく、飽くまでも童話である事を忘れずに書いてある。そのせいかラストシーンもそこまで悲しいような感じではなかった

「グスコーブドリの伝記」は確かに幼少期の思い出が今も残っている通り、感銘を受けたはずだったのだけど、今になって読み直してみると、矛盾しているので は?と思う箇所もある。冷害に対し、火山を噴火させ、二酸化炭素によって温暖化させるというのは、現在の地球温暖化そのものだが

火山噴火だけで本当に冷害が解決するのか、火山灰が作物の上に積もってしまっては逆に育たなくなるのでは、そもそも噴火の煙や何かで日光は差すのだろう か、等と考えてしまうのがいけない。こういう事詳しくないのでわからないけど。アニメの方が自己犠牲感が強いので、若干雰囲気が異なる気がする

「グスコーブドリの伝記」よりも草稿?下書き?の「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」の方が面白い。グスコーブドリの舞台がイーハトーヴであるのに対し、ネネムの舞台はばけもの世界。パラレルワールドのような感じ。所々ページや文字が失われているので、色々考える事ができる

冒頭部分はほとんど同じであるし、後半に出てくる火山の名前も一致する。主人公の最初の仕事はてぐす工場と昆布とりであるが、作業や指導している人の台詞もほぼ同じ。グスコーブドリにはペンネンナーム技師という人も登場する。ペンネンネンネンネン、名前が似てる

ちなみにこの「ペンネンネン……」はネンの数が本当はもっともっと多かったみたいだけど、随分減らしてこの結果になったらしい。この物語は他にもハンムン ムンムンムンだとか繰り返しの文字が多いのだけど、これは一体どういう意味…ペンネ?ムハンマド?エスペラント?わからぬ…

ちなみに「黄いろのトマト」には「グスコーブドリ」の妹と同じネリという妹も登場したりする。これもパラレルワールドなのかな?今となっては黄色のトマトも売ってるけど、当時はさぞ不思議 だったろうね。「チュウリップの幻術」は場景が幻想的で美しい。「植物博士」は方言を文章化すると想像以上に読み難いのだね…
電子書籍、夏目漱石「こころ」読了。初めての夏目漱石です。僕の使っている青空文庫のアプリには閲覧数によるランキングがあるのだけれど、2位に大差をつけての1位 の作品がこれだった。やはり教科書で扱う作品と言うのは大人になってから読み返す人が多いみたい。僕は読んだ事はなかったのだけど

正直に言えば夏目漱石なんてお札の肖像画に使われているような人は僕にとって無意識に拒絶の対象である。メジャー過ぎるし、教科書で扱うような作品なんて いかにも文学という感じだろうから。例えるならギター始めたいという人に「じゃあビートルズ聞けよ」って言うようなもので、別にそれでも良いけど

各部の題名がだいたいの物語の説明にもなっているのだろうけど「上 先生と私」「中 両親と私」「下 先生と遺書」の三部構成で書かれている。上は語り部である「私」と主人公である先生との出会い、中は「私」の両親との関係、下は先生から届いた遺書につい て書かれる(そのまんまだな)

海外では「「こころ」は同性愛小説である」なんていう論文があったり同性愛小説にカテゴライズされたりしているらしいのだけど、僕もそれに少し共感してし まった。恋愛の三角関係は同じ人を取り合うと言う意味において、嫉妬や愛憎の感情を喚起させ一種の同性愛的感覚も起こり得るか

「私は過去の因果で、人をりつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好い から、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」

「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」という名台詞があるけど、こっちの台詞の方が好き。前半は無駄で遺書の物語にしてしまった方が良いという意見もある が、この文がある限りそんな事言って欲しくないなぁ。でも遺書が長過ぎて少し無茶な部分もあるからなぁ…半分遺書だし、どれだけ分厚いんだよって

結局この小説では明治以前の日本と新しい時代の価値観の違いを書いているらしいけど、そんな難しい解釈や考察は国語の先生に任せておけば良い訳。僕はドラ マチックな遺書の部分よりも、先生のミステリアスさが「私」視点で語られる前半部分の方が明らかに好きです。捻くれた本ばかり読んでるせいか
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