忍者ブログ
ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

電子書籍、宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」「黄いろのトマト」「植物医師」「チュウリップの幻術」「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」「ペンネンノルデはいまはいないよ 太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ」読了。久し振りに本読めたよ

「グスコーブドリの伝記」は子供の時にアニメを見た事があった。結構悲しいラストだったように記憶しているのだけれど、原作はそこまで具体的に描写する訳ではなく、飽くまでも童話である事を忘れずに書いてある。そのせいかラストシーンもそこまで悲しいような感じではなかった

「グスコーブドリの伝記」は確かに幼少期の思い出が今も残っている通り、感銘を受けたはずだったのだけど、今になって読み直してみると、矛盾しているので は?と思う箇所もある。冷害に対し、火山を噴火させ、二酸化炭素によって温暖化させるというのは、現在の地球温暖化そのものだが

火山噴火だけで本当に冷害が解決するのか、火山灰が作物の上に積もってしまっては逆に育たなくなるのでは、そもそも噴火の煙や何かで日光は差すのだろう か、等と考えてしまうのがいけない。こういう事詳しくないのでわからないけど。アニメの方が自己犠牲感が強いので、若干雰囲気が異なる気がする

「グスコーブドリの伝記」よりも草稿?下書き?の「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」の方が面白い。グスコーブドリの舞台がイーハトーヴであるのに対し、ネネムの舞台はばけもの世界。パラレルワールドのような感じ。所々ページや文字が失われているので、色々考える事ができる

冒頭部分はほとんど同じであるし、後半に出てくる火山の名前も一致する。主人公の最初の仕事はてぐす工場と昆布とりであるが、作業や指導している人の台詞もほぼ同じ。グスコーブドリにはペンネンナーム技師という人も登場する。ペンネンネンネンネン、名前が似てる

ちなみにこの「ペンネンネン……」はネンの数が本当はもっともっと多かったみたいだけど、随分減らしてこの結果になったらしい。この物語は他にもハンムン ムンムンムンだとか繰り返しの文字が多いのだけど、これは一体どういう意味…ペンネ?ムハンマド?エスペラント?わからぬ…

ちなみに「黄いろのトマト」には「グスコーブドリ」の妹と同じネリという妹も登場したりする。これもパラレルワールドなのかな?今となっては黄色のトマトも売ってるけど、当時はさぞ不思議 だったろうね。「チュウリップの幻術」は場景が幻想的で美しい。「植物博士」は方言を文章化すると想像以上に読み難いのだね…
PR
電子書籍、夏目漱石「こころ」読了。初めての夏目漱石です。僕の使っている青空文庫のアプリには閲覧数によるランキングがあるのだけれど、2位に大差をつけての1位 の作品がこれだった。やはり教科書で扱う作品と言うのは大人になってから読み返す人が多いみたい。僕は読んだ事はなかったのだけど

正直に言えば夏目漱石なんてお札の肖像画に使われているような人は僕にとって無意識に拒絶の対象である。メジャー過ぎるし、教科書で扱うような作品なんて いかにも文学という感じだろうから。例えるならギター始めたいという人に「じゃあビートルズ聞けよ」って言うようなもので、別にそれでも良いけど

各部の題名がだいたいの物語の説明にもなっているのだろうけど「上 先生と私」「中 両親と私」「下 先生と遺書」の三部構成で書かれている。上は語り部である「私」と主人公である先生との出会い、中は「私」の両親との関係、下は先生から届いた遺書につい て書かれる(そのまんまだな)

海外では「「こころ」は同性愛小説である」なんていう論文があったり同性愛小説にカテゴライズされたりしているらしいのだけど、僕もそれに少し共感してし まった。恋愛の三角関係は同じ人を取り合うと言う意味において、嫉妬や愛憎の感情を喚起させ一種の同性愛的感覚も起こり得るか

「私は過去の因果で、人をりつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好い から、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」

「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」という名台詞があるけど、こっちの台詞の方が好き。前半は無駄で遺書の物語にしてしまった方が良いという意見もある が、この文がある限りそんな事言って欲しくないなぁ。でも遺書が長過ぎて少し無茶な部分もあるからなぁ…半分遺書だし、どれだけ分厚いんだよって

結局この小説では明治以前の日本と新しい時代の価値観の違いを書いているらしいけど、そんな難しい解釈や考察は国語の先生に任せておけば良い訳。僕はドラ マチックな遺書の部分よりも、先生のミステリアスさが「私」視点で語られる前半部分の方が明らかに好きです。捻くれた本ばかり読んでるせいか
創られた伝統 (文化人類学叢書)

紀伊國屋書店、E.ホブズボウム、T.レンジャー「創られた伝統」の1~3章と7章及びあとがき読了。やはり専門書はよほどの限り興味あるとこしか読まない。といってもこれは章ごとに独立した論文集みたいな感じなのでその読み方でも大丈夫、なはず、と思うんだ…

「伝統」は昔から受け継がれてきたものと思われているが実はそうでもないんだよという事を論じた論文集。主に英国における実例を取り上げ、「伝統」が創り 出された様子を追う。とカバーの折り返しを要約。読んだ所は主にスコットランドのタータンについてとウェールズの「文化的独自性」について

タータンと言えば最近ではファッションにも取り入れられているけど、本来はスコットランドの高地で発達したチェック模様の事。1746年にカロデンの戦い がありジャコバイト(名誉革命の反革命勢力)を制圧したのだけど、反乱の再発を恐れ、結束力を弱めるためにタータン禁止令を出したんだって

禁令は約35年続いたけど、その間にタータンはほとんどなくなってしまった。制圧成功だね。禁令解除後には氏族毎に新しいタータン模様を定めたんだって。これは19世紀半ば~20世紀半ばに定着。そういう意味で新たな伝統を人工的に創り出した事になる。という事かな

タータンって70sロンドンパンク勢がよく着てたんだけど、スコットランドがイギリス建国時に反抗した事を1970年代では政府への反抗の象徴として着た 事が始まりでもある訳で。同じ服の集団ってなんか怖いよね。パンクスとか暴走族とかね、なんかブライトンの暴動を思い出したわ

あとはウェールズ。「ウェールズは政治的国家じゃないからそうした国家が欠如してる故に過去の回復、過去が欠けている場合は過去の捏造に注ぎこむように駆り立てた」と結論に書いてある。民族意識を高めるためにウェールズの伝統を創り出したという見方でしょうか

ウェールズ、イギリス国旗にも入ってないし、独自の民族意識を創りたいと思っても無理はない気がする。17世紀イングランドのユーモア作家、風刺作家から ウェールズ語は「不気味で醜い言語」とか言われてたらしく、ウェールズのウェールズ大好き学者ピューエがそれを嘆いてウェールズ語研究に取り組む

そしたら当時の英語辞典よりも4万語も多いウェールズ語辞典が出来ちゃったらしく(いくつかの言葉もこの時ピューエが創ったとか何とか)、それで人々はウェールズ語の純粋性、建国以来の伝統、無限の豊かさに熱中した。らしい

何気にウェールズ語も禁止令が出ていたらしく、でも英国国教会の普及を急ぐイングランドは教会内だけなら使っても良いよって事で、ウェールズは讃美歌や教 育を通してウェールズ語を守ったのでした。そんなこんなでウェールズは「歌の国」とも呼ばれているそう。イングランド、さっきから身勝手ですな

ここからは本に書いてないので勝手に調べてみた。結局ウェールズ語は話す人が年々少なくなっていき、1960年代辺りからウェールズ語の保存運動が始まっ たらしい。さて、割と最近になってくれば僕もわかってくるのだが、大ブリテン島に住んでいる以上、ロックンロールの影響は避けられないと思うんだ!

60s~70sに青春時代を過ごしたウェールズのバンドと言えばManic Street Preachers、ウェールズ出身のバンドなら有名な方なはず。南部ウェールズ出身のバンドなんだけど、初期は政治的な歌が多いパンクっぽいバンドで、 英語でウェールズの事を歌っていた

英国音楽シーンって出身地を強調するのが多いと思うんだけど(マッドチェスターとか)マニックスはウェールズ出身である事を隠す感じだった。日本語の解説 文はリッチー・エドワーズって書いてあるんだけど、英語ではリッチー・ジェームズって書いてあったり(ジェームズ姓はウェールズに多いから)

ウェールズ性を隠す事でウェールズの問題を浮き彫りにするっていうやばい格好良いんだけど、リッチーがいなくなってからは逆にウェールズ性を強調し出して あんまり好きじゃない(話逸れてきた)、で、マニックスを筆頭にウェールズのバンドは一杯出てきて、スーファリとかステフォとか出たんだよ

そんでスーファリなんかは全部ウェールズ語歌詞のアルバムとか出したりして結構高評価だったりして、話を元に戻すとピューエさん、ウェールズ語廃れなくて良かったねって事です
ふたりの証拠 (ハヤカワepi文庫)

ハヤカワepi文庫、アゴタ・クリストフ「ふたりの証拠」読了。前作「悪童日記」の続編。若干前作のネタばれ注意。前作では双子の「ぼくら」を中心に物語は進んでいった。だが今作では前作ラストで離ればなれになった双子の片割れリュカを中心に物語は進む

一人になったリュカは前作の「ぼくら」よりも人間味があるように思える。が、やはり感情表現はほとんどないような文体。片割れクラウスのために手記を書き続ける。ポイントはリュカ(Lucas)とクラウス(Claus)の名前はアナグラムだという事

今作では一心同体だった「ぼくら」の事については皆何も触れず、本当に双子だったのか?二人ではなく一人だったのではないか?学校にも行かなかった「ぼく ら」には証明するものがない。他の人のレビューに「ツイン」ではなく「ダブル」だとしたら…とあるがそれが「ふたりの証拠」という題名に繋がると思う

「悪童日記」読了後すぐに続編を買ってしまった。そしてここまできたら最終作「第三の嘘」も読まずにはいられない。また意味深なタイトルだなぁ。文体に感情がない故に何のための行動かわからない事がまだ一杯ある。登場時10歳だった悪童は最早50代になってしまったが、最後はどうなるのか、楽しみです
新潮文庫、シュトルム「みずうみ」読了。新潮の古本で買ったけど絶版みたい。表題他「ヴェローニカ」「大学時代」収録。物語のベースは3作品とも結構似ていて、自分のものにならない女性を愛する青年と言った感じ。風景描写が綺麗。ドイツ文学ってなんか読書の秋に向いてる気がする

ちゃんとした恋愛もの読む事はほとんどないんだけど切ない系の話が多い。これぞ文学って感じだったな。「みずうみ」は若き日の恋人に寄せる儚い老人の思い 出を綴っている。主人公の名前がラインハルトなんだけどさぁ…この名前聞くと人物像が全部同じになってしまう人は少なくないと思うんだよ
カレンダー
08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
PR
ブログ内検索

Template by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]