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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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電子書籍、有島武郎「カインの末裔」読了。聖書を全然知らない人は読む前に少しの素地が必要で、すなわちカインとは誰か?という事。旧約聖書創世記第4章に書いてあるが、アダムとイヴの息子でアベルの兄、農耕を営み、嫉妬からアベルを殺した人類最初の殺人を犯した人物

読んでみた印象としては「想像してた物語と違う」だった。個人的にはもっと聖書聖書した物語だと思っていたけど、文中にはカインのカの字も出てこないの で、カインとアベルの物語を全く知らない人にとってはタイトルの意味理解せずに終わってしまうと思う。と言っても普通の人の聖書の素地ってどんなの

主人公は仁右衛門という農夫、小作人として仕事を得、妻と赤坊と馬を連れて北海道へとやってくる。だが、作物は思ったように収穫できず、金がないので赤坊 は病気で死に、(もともとそういう人だったが)仁右衛門は暴れ、村で行われた競馬に自らの馬で酸化するものの馬は負傷し…と話は続く

仁右衛門がカインの末裔であるとすれば農耕が上手くいかない事は仕方のない事なのです、カインが土地を耕しても最早彼のために土地は実を結ばないのだか ら。物語の最後は仁右衛門が村から去っていく場面で終わるのだが、それも仕方がない、カインは地上の放浪者になる運命だから

カインの子孫は聖書の上ではエノク、イラデ、メホヤエル、メトサエル、レメクと続いていき、一応その後の子孫は書いてない(はず)なので末裔はレメクにな る。「カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍」カインの末裔は復讐心を燃やしながらも生きねばならぬ宿命を背負っている]

共同体で生きるには規律がある。カインの供物は何故受け入れられなかったか、そこにきっと理由はないだろうし、むしろ理由がない事が理由である。気に食わ ぬとも受け入れねばならぬ事はあるし、それが運命だ。仁右衛門は様々な運命を背負っても生きていく逞しさのある男だと思う。良くも悪くも

どうでも良いが僕は誰もがカインの末裔ではないと考える派なので(アダムとイヴの間に子供は一杯いただろうし)カインの末裔に生まれる運命にあったのなら そこは彼の憐れむべき点だと思う。そもそもカイン一族は洪水で滅ぼされてしまうからなぁ…対応させながら読むのは面白いが読まなくても良いかな…
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電子書籍、坂口安吾「堕落論」「続堕落論」「思想と文学」「文学のふるさと」「死と影」読了。なんとなく目を引いた題名からピックアップして読んでみる。 評価の高い「堕落論」だが、正直自分はよくわからなかった。それは自分が端から堕落に落ち着いてしまっているからか、這い上がる事を忘れたからか

「人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くで は有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる」堕落する事に救いを見出す

要するに読む時期が悪かったのであろう。今の僕は堕落しきっていた時期とは少し外れているように思うし、少しは光を見る事に努めてみようと思い始めた。天 皇がどうのだとか戦争がこうのだとかは、何も言えない。今の世に生きている戦争を体感していない自分にとっては下手な言及はできない

となると「わからない」のは天皇や戦争の事だけで、根本を見るとこの人の考え方好きだ。弱さを否定した所で強がりにしかならないし、弱さは受け入れてこそ の強さだと思う。多分もっと早い時期や堕ちてた時に読んでたらすごく救われてたと思うよ。ちょっと頑張ろうと思ってる時は向かないけど
電子書籍、小林多喜二「蟹工船」読了。数年前、ワーキングプアや非正規労働者という言葉が顕著に話題になっていた時に「現代の蟹工船」という意見が度々出 ていた。その時から多少興味は湧いていたものの、まだ日本文学アレルギーが抜けず、意味すら調べる事もなく、自分の中で言葉だけが先走っていた

読んでみて「現代の蟹工船」の意味が理解できたような気がする。だけど、ワーキングプアや非正規労働者よりも、今現在はもっと「蟹工船」に近しい仕事をし ている人達が出てきてしまっている、ように思える。この小説には明確な主人公がいない故に、全体としての労働者視点で書かれている

労働者のなんと力強い事か、現代の蟹工船、労働者はそれ程のバイタリティはないだろう。ストライキという言葉は最早死語と化し、ブラック企業という言葉が 生まれ、労働者は苦難を改善するよりもそこに順応する道を選択してしまった。そして目に見えない矢で貫かれ、自らを貫き、死んでいく

救いを残したラストだったが、果たして現在に対応させるとどうなるのか。蟹工船から80年以上経った現在、苦難に順応する事に慣れてしまった労働者に残さ れた希望とは何なのだろう。学生やニートも含む若者全般は労働に対する無気力症候群にも似た症状を呈しているのではないかとも思う
電子書籍、夢野久作「ドグラ・マグラ」読了。初電子書籍読了作品、そして久々の日本文学…青空文庫が読めるようになったのでちょこちょこ日本文学も手を出してみようかという魂胆です。だからといってこれを普通の日本文学に分類していいものか…

あらすじは良いとして、感想は、とにかく読むのが疲れた。電子書籍という事もあるだろうけど、勿論原因はそこに限らず。有名なチャカポコの場面(キチガイ地獄外道祭文)は第一関門…第二関門は漢文めいたとこ(青黛山如月寺縁起)…キチガイ地獄外道祭文は一日に2ページ読むのも辛かったが最後650ページ位は一気に読んでしまった

日本三大奇書という事で多少身構えていたものの、物語は全然わからないという訳でもなく普通に面白かった。読み難い場面は多々あるものの、主人公目線で読むと翻弄されっぱなしの混乱加減に最初は眉を顰めていたがだんだん笑えてくる。これが「本書を読破した者は必ず一度は精神に異常を来たす」と言われる所以だろうか

分割して読むと、今は地の文なのか論文なのか遺言書なのか誰が語っているのかがわからなくなるので辛くても期間を空けずに読んだ方がわかり易い。本当に後 半は一気に読める、というか読まざるをえない。あと紙媒体の方がページを戻せるのでわからなくなった時に便利だろうなと思った

「最後650ページは一気に読めた」とか言ってるけど、電子書籍で総ページ数は2457ページでした。最近左腕が筋肉痛だったのはこれのせいなんじゃないかなとふと思った。あとは電子書籍は解説が付いてないのがなぁ、日本文学でも解説付いてるのが普通なのかしらないけど
La Biblioteca di Babeleシリーズ第20巻、コルタサル他「アルゼンチン短篇集」読了…微妙だったかも。「いくつかの明白な理由によって、本巻が提供する幻想はやむを えず部分的たらざるをえないが、将来必ずやこの足りないページを補う機会を得たい」(序文)からだろうか

ルゴーネス「イスール」、ビオイ・カサレス「烏賊はおのれの墨を選ぶ」、カンセーラ/ルサレータ「運命の神様はどじなお方」、コルタサル「占拠された 家」、ムヒカ・ライネス「駅馬車」、オカンポ「物」、ペルツァー「チェスの師匠」、ペイロウ「わが身にほんとうに起こったこと」、バスケス「選ばれし人」

「イスール」は再掲。だけど翻訳者が違う。「烏賊はおのれの墨を選ぶ」はSFみたいな、題名面白いけど、あんまり肌に合わなかったかも。ペルツァーの「チェスの師匠」はオチが…夢オチと同じ位神オチは罪深いと思う。ラテン・アメリカ文学難しい、ボルヘスは大好きなんだけど

「運命の神様はどじなお方」は面白かった。鉄道馬車の御者の主人公が衝突事故で跛になってしまい、御者の仕事は時代が変わり実用的というより観光的になってしまいながらも仕事を続ける。だけどまた事故ってしまい、男の口から出た言葉は?といった物語

「どうやらおれは進歩によってびっこにされてしまい、自分がびっこであるために進歩について行けず、いまやこうして退歩の見本みたいになろうとしているわ けだ」という文は怖いね。こういう団塊の世代の方々気付いてないだけで結構いるよね。そしていつか自分もそうなるんじゃないかと思うとね
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