ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。
読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。
飽き性だからいきなりやめるかも
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La Biblioteca di Babeleシリーズ第18巻、L.ルゴーネス「塩の像」読了。ルゴーネスって人、初めて聞いた。「もしアルゼンチン文学の全過程をひとりの人物で象徴させなければならないとしたら、その人物は紛れもなくルゴーネスであろう」とボルヘスが言ってる
1874年のアルゼンチン生まれ。当時のアルゼンチンは世界五大富国の一つに数えられる程繁栄してたらしい。経済の急成長により中産階級の台頭、急進派の 武装蜂起なんかが展開され、ルゴーネスもアナーキストとして頑張ってたらしい。だがラテン・アメリカ史は全くわからなんだ
「イスール」「火の雨」「塩の像」「アブデラの馬」「説明し難い現象」「フランチェスカ」「ジュリエット祖母さん」の7編収録。全体的に古典が関係してる 作品が多い。「塩の像」は聖書、「フランチェスカ」は神曲、「ジュリエット祖母さん」はロミオとジュリエットみたいに、素地がないと難しい
「イスール」は端的に言えば猿に言葉を教えようとする話。「猿は実は人間であったが、何らかの理由で話すことをやめてしまった」というのは面白い視点だと 思う。しかも進化論よりも後にこういう事考えるっていうのが…いや後だからこそ考えられる事か。言葉を教えられた猿が何て言うのかという話
「火の雨」は突然燃えている銅の雨が降ってくる話。これはなんか想像すると綺麗で好き。世界の終わりは突然で不条理なんだろうなと思う。あと面白かったの は「アブデラの馬」とか。馬vs人間の話なんだけど、馬が暴漢のようになってた。金品奪ったり女襲う馬聞いた事ないわ、死ぬわ
1874年のアルゼンチン生まれ。当時のアルゼンチンは世界五大富国の一つに数えられる程繁栄してたらしい。経済の急成長により中産階級の台頭、急進派の 武装蜂起なんかが展開され、ルゴーネスもアナーキストとして頑張ってたらしい。だがラテン・アメリカ史は全くわからなんだ
「イスール」「火の雨」「塩の像」「アブデラの馬」「説明し難い現象」「フランチェスカ」「ジュリエット祖母さん」の7編収録。全体的に古典が関係してる 作品が多い。「塩の像」は聖書、「フランチェスカ」は神曲、「ジュリエット祖母さん」はロミオとジュリエットみたいに、素地がないと難しい
「イスール」は端的に言えば猿に言葉を教えようとする話。「猿は実は人間であったが、何らかの理由で話すことをやめてしまった」というのは面白い視点だと 思う。しかも進化論よりも後にこういう事考えるっていうのが…いや後だからこそ考えられる事か。言葉を教えられた猿が何て言うのかという話
「火の雨」は突然燃えている銅の雨が降ってくる話。これはなんか想像すると綺麗で好き。世界の終わりは突然で不条理なんだろうなと思う。あと面白かったの は「アブデラの馬」とか。馬vs人間の話なんだけど、馬が暴漢のようになってた。金品奪ったり女襲う馬聞いた事ないわ、死ぬわ
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La Biblioteca di Babeleシリーズ第19巻、ジャック・カゾット「悪魔の恋」読了。知的好奇心から悪魔を呼び出してしまった青年アルヴァーレと悪魔ベエルゼビュートとの恋物語。悪魔は普段は小姓ビヨンデットとして使えるがどういう事か少女ビヨンデッタとして恋をしてしまう
ベエルゼビュートは仏語なのでベルゼブブの方が通称としてわかり易い。主人公は悪魔と恋して良いものかすごく悩むんだけど、ビヨンデッタがいじらしくて可愛い。というかこの禁断さがなかったら普通の恋愛小説にも見える。クライマックス以外は
「アルヴァーレ様、あたしは心を持っている事に気付きました。あたしはあなたに驚嘆し、あなたを愛しました。けれども、あなたのお心の中に嫌悪と憎しみし か見当たらなかった時、あたしはどうなったでしょう……あたしは、あなたの愛がなかったら今尚不幸になっていたでしょう」
「あたしは……あたしは、悪魔なのです。アルヴァーレ様、あたしは悪魔なのですもの」悪魔の言葉を信じるべきか否かというのがこの話の面白い所。主人公一 人称視点で書かれているので、アルヴァーレの葛藤や惹かれっぷりが想像できるかと。ただ版によってストーリーが変わっているらしいのが…
翻訳が良いと思う。ビヨンデッタ可愛い。最初は駱駝みたいな姿で登場して老人口調だったのに、アルヴァーレに「奴隷はそんな格好じゃないしそんな口を利か ない」みたいな事言われてから「御主人様」口調になったりとか。というか設定が若干アニメっぽい気もしなくはない。そして仏文学はやっぱり面白い
ベエルゼビュートは仏語なのでベルゼブブの方が通称としてわかり易い。主人公は悪魔と恋して良いものかすごく悩むんだけど、ビヨンデッタがいじらしくて可愛い。というかこの禁断さがなかったら普通の恋愛小説にも見える。クライマックス以外は
「アルヴァーレ様、あたしは心を持っている事に気付きました。あたしはあなたに驚嘆し、あなたを愛しました。けれども、あなたのお心の中に嫌悪と憎しみし か見当たらなかった時、あたしはどうなったでしょう……あたしは、あなたの愛がなかったら今尚不幸になっていたでしょう」
「あたしは……あたしは、悪魔なのです。アルヴァーレ様、あたしは悪魔なのですもの」悪魔の言葉を信じるべきか否かというのがこの話の面白い所。主人公一 人称視点で書かれているので、アルヴァーレの葛藤や惹かれっぷりが想像できるかと。ただ版によってストーリーが変わっているらしいのが…
翻訳が良いと思う。ビヨンデッタ可愛い。最初は駱駝みたいな姿で登場して老人口調だったのに、アルヴァーレに「奴隷はそんな格好じゃないしそんな口を利か ない」みたいな事言われてから「御主人様」口調になったりとか。というか設定が若干アニメっぽい気もしなくはない。そして仏文学はやっぱり面白い

創元推理文庫、H.P.ラヴクラフト「ラヴクラフト全集1」読了。20世紀アメリカが生んだ鬼才、幻想と怪奇の作家、ラヴクラフトの全集第1巻(中表紙引用)「インスマウスの影」「壁のなかの鼠」「死体安置所にて」「闇に囁くもの」の4編が収録された短編集
クトゥルフ神話って度々話題に上がるけどどんな感じだろうという理由で読んでみた。「イカみたいなタコみたいな神様の出てくる神話」といったイメージだけ のほとんど予備知識なしの状態で読んでみたけど、そこまで読みにくい訳ではなかったかも。20~30年代の作品にしては古臭さを感じなかった
「インスマウスの影」は一種の土地の神様的なものへの恐怖といった感じ。じわじわくるタイプ+自分が狂うタイプのホラー小説。本当に「いあいあ くとぅるふ ふたぐん」って言ってた。だがそれが何を意味するのかはここだとわからないので解説書とか読むと良いんだと思う…気が向いたら
少なくとも全集1には「クトゥルフ神話」という言葉が出てこないんだよなぁ。メネ、メネ、テケル、ウプハルシンだとかフングルイ、ムグルウナフだとか訳の わからない言葉は一杯出てくるけどそれについての説明は特にない…多分その辺の解釈をするのが楽しいんだろうけど、それは他の作家の仕事なのかも

白水社、アンドレ・ブルトン「ナジャ」読了。「私とは誰か?」から始まるブルトンによる自伝小説。僕が読んだのは白水社の方で岩波の全面改定版じゃないので註は多分少ないと思う。小説なんだけどシュルレアリスムに倣って自動記述で書きあげているし、中身に写真もあってちょっと変わってる
とりあえず物語はだいたい3部構成というか、最初は何だこれ状態で読んでたけど、それは多分岩波の果てしない註と僕の知識がもっとありさえすれば解決でき る問題だと思う。じっくり読めばわかると思うのだが、一つの文が異様な程長いので、およそこれが自動記述の産物なのだろうか
途中から日記のような語り口になり、やっとナジャ(Nadja)が登場する。実際にいた女性なのだが本当に妖精みたいに掴み所がなく、翻弄されながらも惹 かれるブルトンの気持ちがよくわかる。そしてこの2人の関係が男女の関係という訳ではないというのが良い。別世界の住人のようにも思える
ちなみにナジャ(Nadja)の名は本名ではなく「ロシア語で希望という言葉のはじまりだから、はじまりだけだからいいんです」と教えてくれる。調べてみた所、ロシア語で「希望」はнадежда(ナジェージダ、仏語で書くとNadejda)となるみたい
「そこにいるのは誰か?ナジャ、君なのか?彼岸が、彼岸のすべてがこの生のなかにあるというのは本当なのか?私には君の言うことが聞えない。そこにいるのは誰か?私ひとりなのか?これは、私自身なのか?」叫びみたいな表現が泣けてくる

紀伊國屋書店、エミール・シオラン「絶望のきわみで」読了。22歳のシオランが若き日の狂気すれすれの状態で綴った幻の処女作。手を出したら抜け出せなくなりそうで節制している作家の一人。生き難い若者とはいつの世にもどこの国にもいる
「私にとってこの本は、ある種の解放、わが身を救う爆発であった。もしこの本を書かなかったら、私は私の夜に終止符を打っていたに違いない」という序文で 始まる絶望と死の本。一種の遺書。書いて遺すのではなく、書を遺すという意味の遺書だと思う。全てに意味がないのならば死さえも意味は何もない
「新しい苦悩の理由を手に入れるために、愛に裏切られたいと願う――これが私の惨苦だ。というのも、私達に私達の失墜を啓示するのは愛だけだから。死を直視した者は、それでもまだ愛する事が出来るのか。愛で死ぬ事が出来るのか」美しいと思う
「こうして君は老いを知り、苦悩を、そして死を知った。快楽とは錯覚であり、あらゆる錯覚の中でも最大の、この錯覚の虜になった享楽者達は、物事のはかな さを何もわかってはいない――これが君の下した結論だった……生誕を、老いを、死を免れぬうちは、再び戻っては来ない、これが君の言葉だった」
夭逝はある意味で才能の一つだと思う。世の中の「いつでも死ねると思えば気が楽になる」という考え方の発端のようにも思える。22歳でこんな本出して遺書 ばかり書いて自殺せずに84歳まで生きるなんて正気の沙汰じゃない。この人の思想が年を重ねるにつれてどう変わっていくのか
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