ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。
読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。
飽き性だからいきなりやめるかも
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東京美術、千足伸行「すぐわかる
キリスト教絵画の見かた」読了。これもグレコ見る前に読もうと思ったけど読めなかったやつ。「無原罪のお宿り」の主題がどういう意味なのかっていうのはこ
れで知った。どういう物語なのか、こういう作品があるとオールカラーで2ページ程度でまとまってるのですごくわかりやすい
絵のチョイスも有名どころは勿論、正直聞いた事ない画家も載ってるのはすごいなと思った。特に聖人は日本人としてなかなか触れる機会がないのにも関わらず、沢山展示されてるので気になっていたんだよね。聖アガタとか聖ルチアは物語知らなかったら訳わからないもの
昨日の本とも関係してくるけど、聖母信仰ってカトリックだけなんだって。例えばサンタマリア~教会はマリア様の教会だからカトリック教会って事になる。聖
書の中には偶像崇拝についての警告も多いし、処女マリアが授乳できるのはおかしいっていう理由もあったりして、プロテスタントは否定的
天上の三位一体が父、子、精霊ならば、地上の三位一体はイエス、マリア、ヨセフの聖家族の図。中世後期あたりで聖母信仰が盛んになって、作品も沢山作られた。聖書の中で聖母が出てくる場面は少ないけど、聖母の物語は外典福音書や後世の宗教文学に書かれている
キリスト教って父なる神みたいな表現だったりして父性性が強いけど、マリア様は天の女王だしキリスト教における母性性だったんだろうな。だんだん女性も力
を持ち始めるルネサンスあたりに受胎告知のマリアの本がどんどん大きくなっていったのと同じように、女性への見方が変わっていったのかなぁ
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岩波書店、石井美樹子「 聖母のルネサンス―マリアはどう描かれたか」読了。受胎告知、ミルクスープの聖母、書を持つ聖母の3章で構成されている。著者は美術史家ではないらしいけど、内容は濃くて読み易かった。ありがちだけど図版が白黒なのが残念。図版も多くて参考文献も一杯なのに
「ミルクスープの聖母」はダヴィッドが描いた作品で、幼子イエスが手にしている木製のスプーンに着目して論を展開している。イエス降誕の時、マタイ書で東方三博士は黄金、乳香、没薬を贈り物として渡しました。ルカ書でも同様に羊飼い達が礼拝して贈り物を渡すんだけど、これは地方によって違う。時系列は羊飼いの礼拝→東方三博士の礼拝
ダヴィッドは「エジプト逃避」でもスプーンを持ったイエスを描いている。こちらのイエス様はちょうど授乳の最中で「ミルクスープの聖母」と同様にスプーンとミルクが対になっている図になる。ここから著者は子(スプーン)と母(ミルク)のシンボルなのでは?と論じていく
羊飼いだから黄金みたいなものじゃなく素朴なものなんだけど、その中にスプーンが入っている事もある。中世・ルネサンスの絵画の伝統として、イエスの持つ
ものはイエスの象徴(アトリビュート)である。ダヴィッドは「ミルクスープの聖母」とそっくりの「さくらんぼを持つ幼子と聖母」を描いている
スプーンがさくらんぼに変わったこの絵、さくらんぼはイエスの象徴で、羊飼いもさくらんぼを渡す地方もある。これらと同じ構図のダヴィッドの作品は7つ現存しているらしい。当時人気だったのかな。そしてどうやらこのようにスプーンを持たせたイエスを描いた画家はダヴィッドとダヴィッドに影響受けたベニングだけとか
マリアの徳性はキリストの母である事。授乳の聖母はマリアの役割を明確にするイメージだった。聖母マリアはキリストの母だけでなく、万人の母である。フランドル地方にはマリアの乳の聖遺物がまつられているとこもあるとか。奇蹟的な治癒力があると信じていたらしい
だけど例えばフーケの「聖母子」みたいに当時の流行を取り入れたりして宗教性が薄れて宗教画の意味がなくなってきた。その上処女のはずのマリアから母乳が出るのはおかしいなんていう非難も受け、スプーンの意味も忘れ去られていってしまったみたい
羊飼いが贈るスプーンとフラスコのセット。離乳食用の食器に神学的な意味はあるのか。フランドルの画家はスプーンのある降誕画や聖母子像を描いている作品
が多い。スプーンは王冠、王笏、宝珠と共に即位の儀式の宝の一つだった。でもスプーンが王の中の王を象徴するという考え方は東方生まれなんだと
そこからスプーンは賢者、癒し手、王の中の王、旅人の道しるべ(中国最古の羅針盤は匙の形をしているらしい)、救い主のシンボルであると言っているんだけ
ど、戴冠のスプーンはイギリスの例を出してるし、中国の例も出してるし、そりゃどっちもダヴィッドの絵よりは古いものだけど釈然としないんだよね
またスプーンは愛と豊穣のシンボルでもある。くぼんだ部分が女性、柄が男性を表し、女性性と男性性が合体した形のスプーンは豊穣のシンボルだった。まとめればまとめるほど逆にただの離乳食用の食器だったんじゃないかって思ってきたな…むしろ噛むためのおしゃぶりとかさ。それはないか
スプーン論も面白かったけど、書を持つ聖母のとこの方が面白かったな。時代と共にどんどん大きくなっていく聖母が読む書物。教育者である母の象徴。男性の権威としての象徴。識字と女性の社会進出の関係とかね。女の人が書いた論文っぽい感じだった
文春文庫、マイク・ダッシュ「チューリップ・バブル
人間を狂わせた花の物語」読了。17世紀に起きた世界で最初のバブル経済であるチューリップバブルの背景を丁寧に追った本である。1つの球根で家が購入できるほど、または工場と交換できるほどの高値がついたネーデルラント狂乱の時代を描く
そもそもチューリップはオランダが原産地と言う訳ではなく過酷な山脈山麓で生まれ、トルコを経由してオランダに伝わったのは1570年の事だった。厳しい寒冷地帯に咲く深紅の素朴な花は生命と繁殖の象徴であり、トルコ人達にとって尊い花であった
野草であったこの花が栽培され始めたのは謎が多いが1050年には既にペルシア人の崇拝を集めていた。栽培されたチューリップの改良はおよそ16世紀。イスタンブールチューリップと呼ばれるこの修は細長く、アーモンド型の花形と針のようにとがった花弁を持っていた
オスマントルコにやってきた西洋の大使や使節達はその園芸技術に驚いた。そもそもそれまで土に植える植物を美の対象として見る事はなかった。1560年代ヨーロッパの植物学者は初めてチューリップに出会う。16世紀末になると新しい交配種が次々と誕生する
カロルス・クルシウスが初めてチューリップを知ったのは1563年であると考えられている。後に植物学の先駆者となる彼はチューリップの球根をヨーロッパ
中の文通相手に送り付けた。各地の庭で花を咲かせるチューリップを彼は観察し、植物を薬という面以外から見る視点と分類学の基礎を作り上げた
チューリップは種子と球根どちらからも栽培できるが、種子から育てたものはどんなチューリップが咲くか最後までわからない。また、種子が球根に育ち花が咲くまで約7年ほどかかり、平均寿命が約40歳の時代にはあまりにも長い時間がかかった。球根にできる子球なら母球のクローンだから同じ花が咲く
だが球根が1年に生む子球は2、3個で、増殖させるには相当な時間がかかっていた。しかも研究途中だから効率も悪い。希少価値の高い品種は必然的に供給不足になる。異種の花を近くに植えれば虫が花粉を運び、厳密に言う奇形を作りだす。この複雑な色合いの花を愛好家は求めた
単色の花が翌年には複雑な色合いの花を咲かせる現象をブレーキングといった。この現象は1580年に最初に確認された。これは20世紀に入ってようやくウイルスによる病におかされたものだと判明したのだが、当時のオランダ人達は知る由もなく魔術よろしく様々な研究をする
その間もどんどんチューリップ熱は高まる一方であった。1590年辺り、オランダはヨーロッパ一裕福な国になっていた。裕福な商人達が美しいチューリッ
プを求めて金を注ぎ込む。莫大な財力を持つ当時の政治家でさえ庭に鏡を置き、チューリップ一杯に見せる仕掛けをするほど球根が足りなかった
そこで登場する最高品種センペル・アウグストゥス。無限の皇帝を意味するこの種は存在が12株にも満たず、この種がバブルの前触れとなる。この珍種の花の
全株を持つ一人の男は名すら明かさず、球根を独占していた。大金を注ぎ込まれても売らない球根には3000万ほどの値がついていた
Semper Augustus
どれも同じに見える茶色の球根で何千万という金が動く。しかも花が咲くまで珍種のチューリップかどうかはわからない。後に母球だけでなく成長するかどうかわからない子球の売買まで行われる。さてこの高騰しきったチューリップ経済はどのような最後を迎えるのか?
当時の静物画には本当に様々なチューリップが残されている。斑入りで美しいやけに目立つ巨大な花。当時オランダで活躍していた画家がレンブラントと言う事もあって、現在はこういう斑入りの種をレンブラント咲きっていうんだけど、レンブラントがチューリップの絵を描いたって言うのはあまり聞かないな
むしろレンブラント作「テュルプ博士の解剖学講義」のテュルプ博士はチューリップにはまり過ぎて改名までしてしまっている、こっちのが有名だと思う。この頃のネーデルラント画家は花のブリューゲルをはじめ本当にチューリップの絵が多い
レンブラント作「テュルプ博士の解剖学講義」1632年
正に邯鄲の夢。チューリップを蝕んだ病は人間を狂わせるほどの威力を持った。この病は完治することはないので、今でも見付けたらすぐに抜いて燃やさなければならない。探せばすぐに出るけど、この花が本当に綺麗なのです。抜くのが惜しいほどに
大デュマの「黒いチューリップ」もこの頃を舞台にした物語。伝説ともいえる珍種の黒い花を巡る物語を書いているんだけど、まぁ未読なので。ちなみにチューリップで黒はできずにとっても暗い紫を黒と言ってるだけみたいよ。色素の関係で
およそ日本におけるチューリップバブルの本ではこれが最も詳しく書かれていると思われる。絶版なのが惜しいくらい。あと参考文献が書かれていないのも惜しい
ハンス・ボロンヒール作「チューリップのある静物画」1639年
これのチューリップはセンペル・アウグストゥスみたい
新潮文庫、アンデルセン「絵のない絵本」読了。アンデルセンといえば、グリムやイソップ、ペローに並ぶ童話作家として有名ですが、この中では一番最近の人 になる。読んでいたら「絵のない絵本は本だろ!」という厳しい突っ込みをいただきました。ご尤もです。当然の如く絵は一枚もない
月が語ってくれた物語という事で、それぞれの話は単位を夜で表し、全33夜で構成されている。月が雲で隠れてしまったため話がそこで終わってしまったり、アンデルセンなりの千夜一夜物語と言ってもいいかもしれない。一夜の長さも数ページほどの短い話で書かれている
正直世界観に入り込むまでが大変だった。月が隠れて腑に落ちないような夜もある。でも、16夜のプルチネッラの話まで読んでみてようやく頭の中にはっきりと物語の情景が浮かんできた。そこでようやく絵のない絵本とは読者の想像力で絵を補うものなのだと気付いた(遅い)
月が語る物語を聞いているのは絵描き。だからこそ読者も絵描きになり、頭の中に情景を描いていく。綺麗で切ない物語でした。僕が読んだ新潮の表紙は真っ黄 色の表紙に黒字で題と作家名が書いてあるとてもシンプルなもので、それも情景を描くために良い方向に働いていると思う。角川の表紙も素敵だけど。訳もオーロラを北極光って表現してたりして綺麗だったな
八坂書房、ニコラス・ペニー「額縁と名画―絵画ファンのための額縁鑑賞入門」読了。絵画を目にする機会は紙媒体にしろネット媒体にしろ様々だが、額縁を見る機会は実際に足を運ばないと難しい。現代アートだと額縁自体がない存在ケースも多いが、それなら何故額縁は取り付けられていたのだろうか
額縁の役割。一つは額縁を付ける事で絵画を神聖なものであると区別する役割。もう一つは額縁は家具であるという事から部屋の調度品としての役割。額縁と絵画が最初の組み合わせのままで付けられているケースはかなり少なく、現存するものも古い年代のものが多い
現在のような形態の美術館ができたのは16世紀に入ってから。16世紀になると額縁は調度品の一部という性格を持つようになった。19世紀後半には新しい絵に古い額を付ける発想が生まれ、絵画にオリジナル額縁を付けるという言い方がされるようになった
初期ヨーロッパにおいて最も一般的なタイプの額縁はタベルナクル額縁と箱型額縁。タベルナクルとは壁龕を意味し、額の屋根部分が絵画を入れる胴部分より張り出している。箱型額縁(カセッタ)はその名の通り箱型で、さらに金めっきをしない木の地肌を生かした額縁も登場した
額縁の歴史だけでなく、どうやって額縁を作るか、どんな彫刻がされているか、どうやって修復するか等額縁の基本が書かれている入門書のような感じ。カラー ページが綺麗。絵画の一部とは言え、彫刻の一部でもあるのが額縁だと思う。次に展覧会に行く時は額縁ももう少し見てみようかな
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