ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。
読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。
飽き性だからいきなりやめるかも
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ちくま文庫、ガルシア・マルケス「エレンディラ」読了。名作「百年の孤独」の後に書かれた短編集。大人のための残酷な童話として書かれた短編6編と中編1編の全7編で構成されている。題名は中編「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」からとられている
日本人から見たラテンアメリカ文学の面白い所はその世界が微妙に想像しがたい所にあると思う。アジアや欧米、アフリカと比較し、咄嗟に文化的なイメージが出てこない。何か不思議な事が起こってももしかしたら本当にそういう事があるのかも?とふと思ってしまう
例えば短編「この世で一番美しい水死人」はある村に見知らぬ男の水死体が漂着した場面から始まる。村人達はこの水死体を清めてあげるのだが、立派な体躯を した美しいこの男に皆だんだん惹かれていき、見知らぬ男のために名前をつけ、葬式を挙げてやり、参列者として男の家族代理になってやる
この一人の水死体(便宜的ではなく親しみを込めてエステーバンと村人達は名付けた)のために一つの共同体が全く変わってしまう有様、一種の聖人のようにも 扱われるこの水死体。本当にあった伝承であるかのような語りっぷりが流石。訳者が水死体ではなく水死人としている所も考えさせられる
表題「エレンディラ」は映像化もされた作品。祖母と暮らすエレンディラは毎日祖母にこき使われる日々を送っていたが不手際で家を全焼させてしまう。賠償と して祖母に売春を強いられるエレンディラ。砂漠を転々としながらの放浪生活を描く。そこでエレンディラはユリシスという青年と出会う…
おばあちゃんがまるで化け物みたいに思える。魔女のようなおばあちゃんにこき使われるエレンディラは可哀想…なんて思っていると、エレンディラの無垢とい うか子供のような一面が垣間見えたりするので、ある意味で神話のようにも見えた。現実感がどこか遠く、これがマジックリアリズムっていうやつか…
翻訳者も鼓直さんがやっているので、雰囲気が似ていたのかも。ボルヘスと言えば鼓直だったけど、ラテンアメリカと言えば鼓直と見方を変える事にしようと思った
表紙のサボテンもインパクトがありながら孤独感があって素晴らしい。サボテンって砂漠の中で一人でぽつんと苦痛に耐えて、誰に見られるかわからないまま花を咲かせるなんて孤独感極まりない植物だと思うんだよ。植物の中でもちょっと変わってるし
ちくま文庫、レオ・レオニ「平行植物」読了。平行植物とはLa botanica parallelaと称される長い間アカデミズムから異端視されてきた植物の事。平行植物達は記録する事が不可能で個体のサンプルを集める事ができない。よってその個体の多くはスケッチや写真でしか残されていない
平行植物の「平行化」とはこの植物が持つ普遍の異質性を表した言葉である。平行植物に見られる異質性はハナンプール大学の生物学研究所のバリバイ博士のオ カシシの幻覚作用についての研究からうかがい知ることができる。オカシシにはメスカリンに並ぶメテックスカリンHBという麻薬成分が含まれてる
メテックスカリンHBによる幻覚作用、通称パラジェミネーションと呼ばれる特殊な幻覚作用は、意識はそのままで変化しないが身体が二つに分裂するような感 覚、及び確信を持つようになる。被験者は二つの肉体の中で一つの意識が行き来する。しかも幻覚である二つの身体は第三者への可視性を含んでいる
幻覚作用(パラジェミネーション)の例に見るように現実と非現実の狭間にある異質の現実に存在する平行世界に存在する植物群こそが平行植物である。これら の植物達は遠くから見ると植物らしさを備えるが、実は全く別の領域に存在する植物である。よって写真には写るが肉眼には知覚されない植物もある
ここまで書くとわかってしまうかもしれないがレオ・レオニによる架空の植物群を収めた本がこの平行植物。全ては作者によるフィクションです。作者は国語の 教科書のスイミーで御馴染のレオ・レオニ。スイミーの海草類の描写も見事だったが、このような学術書?でも描写力は素晴らしい
「平行植物」は「アフターマン」「鼻歩類」に次ぐ生物系三大奇書のうちの一冊。現実と非現実の狭間の平行世界に存在する幽霊のような植物を描いてるだけ あって生物学要素はそこまで強い訳ではなく、(架空の)伝説や伝承による構成もあるが、植物だけを扱ったこの類の本はこれを含め珍しい
植物の名が神秘的で美しい。訳者の腕にもよるんだろうけどツキノヒカリバナ属や夢見の杖属なんかは特に。学名は本当にありそうというか命名表記に忠実だと 思う。挿絵(ここではスケッチ)も実体の掴み難さが表れているように思える。伝承に頼りがちな点は否めないが、夢見の杖の解説は面白かった
でもこういう架空性を描く作品を読むと、特に解説を読むと、必ずと言っていいほどボルヘスが出てくるのでなんというか幸せだなぁと思う
ちくま学芸文庫、ゲーテ「形態学論集・植物篇」読了。形態学とは生物の構造と形態に関する学問である。ゲーテとブルダッハにより提唱された新しい学問であり、進化論の先駆けとも言われている。形態や発達の変化を知る事は現代の生物の分類の基礎や進化論となる
古い時代の形態学者は現在の形態が共通の先祖から枝分かれした結果とは考えず、生物の中に理想とする形態や原型を当てはまる事が問題になった。生物の中に プラトンでいうイデアのようなものを見出そうとした。ゲーテは植物における原植物(Urpflanze)を見出そうとした
植物学断章においてゲーテは「全ては葉である」という一文から論を展開している。花は葉の変化したものであり、地面の中で水を吸う葉は根であり、拡張する葉は茎であるとしている。このように同一の器官が多種多様に変化する作用を植物のメタモルフォーゼといった
このメタモルフォーゼ(変態)には規則的、変則的、偶然的の3種類がある。規則的変態は正常な変態の事である。偶然的変態とは例えば虫瘤のようなものであり、ここでは扱わない。変則的変態とは逆行的変態とも言い、規則的変態、偶然的変態以外のメタモルフォーゼの多くの事を言う
変則的変態の例として貫性のバラが挙げられる。これはバラの中心からまた蕾が出たり葉が出てきたりする奇形の事であり特に園芸品種においてよく見られる。 バラの原種は5枚の花弁と多数の雄蕊を持つが、園芸品種はこの雄蕊が花弁に変化したものを人為的に作り出しているからである
ミュージアムショップに行くと何故かだいたい置いてあるゲーテの論集。「全ては葉である」という前提と「メタモルフォーゼ」というのがキーワード。面白い けど難しい。貫性のバラは放射能の影響か?みたいに騒がれてた時期があったね。ヨーロッパでは縁起が良いものとされているらしい
Voir venir les choses est le meilleur moyen des expliquer.
事物の由来を知る事は、それを説明する最良の手段である
新潮文庫、スティーヴンソン「宝島」読了。古典なのであちこちの出版社から出てるけど今回は新潮文庫版。文庫本だとどうしても教養小説っぽくなるけど、児童文学とし ての出版もされているので最初の出会いとしてどの出版社、翻訳者を選ぶかが難しい所。ちょっと今回の選択は間違ったかもしれない…
島で宝探しをする事が物語のメインかと思ってたけど全然違った。海賊一人一人のキャラが濃い。主人公のジム・ホーキンズ、片足のジョン・シルバー。ワン ピースで聞いた事あるような名前もしばしば。特にジョン・シルバーは肩にオウムを乗せた海賊のイメージを作り上げ、定着させてしまった
何が失敗だったかと言うと、文庫本は大人向けという事もあり、古典文学によくある堅い文章表現なのでどきどきはらはらが足りない。物語の疾走感はまどろっ こしい文章だとちょっとテンポが遅れてしまうので、児童文学みたいにすぐに頭に入った方が楽しいと思った。単に僕が馬鹿なのですが
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