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ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
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人はなぜ危険に近づくのか (講談社+α新書)

講談社+α新書、広瀬弘忠「人はなぜ危険に近づくのか」読了。なんでこんな本借りてきたんだろう…とりあえず読んでしまったので。広瀬さんが災害心理学が専門らしいので、災害関係が話題の中心になるのかなと思ったら、案外そうでもなかった。危険は事故や災害に限らず
後半は危険に対する男女の捉え方の違いが書いてあって面白かった。男性が女性より短命である理由の一 つとして、男性は行動がリスキー且つリスク愛好者である事が挙げられる。傷害事件を起こし易く、無謀な運転をしがちで、簡単に諍いに発展する。この破滅性 が男性の早死にを招いている

この傾向は世界的なもので、アメリカの疾病対策予防センターの報告によれば「全ての年齢において、女は男より健康的である」との結果も出ている。自殺が多く、殺されやすく、ドラッグ乱用が多く、酒に溺れ、シートベルトを締めない、全て女性より男性の方が多い

心理学用語でマキシマイザーとサティスファイサーという言葉がある。マキシマイザーとは「どこかに絶対に正解がある」と考える理想主義者。一般的に女性の 方が多く、例えば結婚相手を探す時に運命の人を探すというのはこういう事だ。買い物で長い時間かけて悩むのもこのタイプ。最良のものを探し求める

サティスファイサーとは「絶対的な正解はない」と考える現実主義者。一般的に男性の方が多く、例えば結婚相手を選ぶにしても多少の妥協をするのはこういう 事。買い物でも「これでいっか」となりがち。マキシマイザーの人は同じものが安くなったらとても後悔するので、とても対照的である

このマキシマイザー人間は選択肢が多過ぎると、正解を選び出す事が困難になってしまう。何かを選ぶ事は選ばれなかった全てを失う事に繋がるからだ。選択肢 が広がれば「これだけの中から選んだのだから良いものだ」と満足するが、その代わりに「もっと良いものがある」という不満足と疲労感と後悔がある

このような傾向は結婚相手、子育て、就職といった重大な局面においては有利でありとても不利。選択で欠点や失敗が見つかれば、自分の選択に満足できず、正 解を求めて彷徨う。求めていたものと違うと判断すれば離婚し、子育てを放棄し、職業を変える。危険の回避であると共に危険に近付く事だと思う

だが女性はネットワークを作るのが得意である。マキシマイザー人間だとしても、ストレスを表にちゃんと出すんだよね。一方で男性はネットワークを作るのが 苦手。男性のマキシマイザー人間だとストレスだとしてもあまり表に出しにくい。これは男性の破滅性を高める要因にも繋がる
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鏡の国のアリス (角川文庫)

角川文庫、ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」読了。アリスが鏡を通り抜けてチェスの国に行くというお話。チェス盤持ってたら、アリスの通ったルートをそのまま辿る事が出来る。挿絵も多いし、訳も変に現代風じゃないところが良かった。ただ表紙がもう少し何かなかったものか…これは綺麗だけど、昔の版のはちょっとな…

ちなみにディズニーの「不思議の国のアリス」は「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の物語を融合させたものなので、セイウチと大工と牡蠣、喋る花園とバタフライ、トウィードルディーとトウィードルダムなんかは鏡の国に出てくる。あとハンプティ・ダンプティも鏡の国
やさしさの精神病理 (岩波新書)

岩波新書、大平健「やさしさの精神病理」読了。世の中には「やさしい」ものが溢れていると著者は言う。胃にやさしい、お肌にやさしい、やさしい経済学。人との付き合いにおいても「やさしさ」は付き纏う。だが、旧来の「やさしさ」と近年の「やさしさ」はどうやら違うのではないかというのが論点

例えば、年寄り扱いするのは失礼に当たるから席を譲らないやさしさ。進路の話などお金のかかる相談は親にしないやさしさ。周囲に心配をかけたくないから病 院に通っている事を言えないやさしさ。あの人はやさしい人だから愚痴や相談は出来ない、と言うやさしい人。思い当たる節が多々あるはず

旧来の語法としての人間関係におけるやさしさは「相手が自分の気持ちを察してくれ、それを我が事のように受け容れてくれる時に感じられるもの」だったが、 近年は「お互いを傷付けないように気遣う事」がやさしい人同士のやさしい関係で「不用意に親切そー」な事をして傷付ける事はやさしくない事である

だが皆が皆やさしい訳ではなく、無神経な人もいる。そういう人とは距離を置く。さらにやさしい人にとってのキーワードは「プライバシー」と「プライベー ト」、自分の本当の気持ちを人に知られるのが嫌なのでヒントになる具体的な事を隠すのである。求めているのはホットな関係でなくウォームな関係

だが「やさしい人達は他人や自分が傷付くことには非常に敏感ですが、既に傷付いている事には妙に鈍感な傾向」がある。例えば部下をいびる上司に対し、上司 の方が傷付いていてその鬱憤を晴らしているのではとは考えてもみない。上司の方も傷付いている事を敢えて言う事はしないだろうし

95年の本で言葉遣いが少し古臭い所もあるけど現代でも充分通用する内容だった。エピソード毎にカウンセリングの症例が書かれていて読み易い。現代っ子は 基本的にやさしいが故に傷付きやすい。人間関係を潤滑にしたいから「空気を読む」なんて流行ったんだろう、読めない無神経な人は拒絶する

現代の人間関係は希薄だなんて言われてるけど、その裏にはやさしさの転換があるのだと思う。「相手はこう思っているだろう」と予想し、探ってお互いに踏み 入らない関係というのが近年のやさしさの理想形。だからその糸は細くて切れやすい。そしてその予想故に食い違いやトラブルが起きる

やさしい人は本心を言わないから食い違ってる事を裡に秘めてしまう。同じやさしい人に(重い)相談をし、もし涙を見せようものなら相手が狼狽するだろうと予想しているから。だから独りで悩む事になる。そして親密でない精神科医に悩み相談をする事になるのです

題名では「精神病理」と書いてあるけど全然そんな重い話じゃない。紹介されている症例も病気じゃないけど何かに悩んでいる人で、それは職場関係とか結婚を 迷っているとか家族と上手くいかないとかすごく身近な話で、頷きながら読めた。やさしいから相手もやさしいと思ってるしやさしさを求めてる
監察医が書いた死体の教科書 「8何の原則」が謎を解く

朝日新聞出版、上野正彦「監察医が書いた死体の教科書「8何の原則」が謎を解く」読了。図書館で目に留まったので。8何というのは、いつ(時間)、どこで(場所)、誰が(犯人)、誰と(共犯)、何ゆえに(動機)、誰に対して(被害者)、いかにして(方法)、いかにした(結果)という5W1H的なあれ

死斑がいつ、どこに出るのか、絞殺か首吊りかの判別法、バラバラ殺人は単独犯が多いとか、なんか新しい世界が広がる感じ。特にメッタ刺し殺人の犯人は残忍 な性格だとか、怨恨が理由の犯行だとかの解説にきっぱり違うと言い切っているのがすごい。メッタ刺しは弱者の保身の心理のためだそう

同様にバラバラ殺人は女性の犯人が多いらしい。これも心理学的には残忍な~とか怨恨が~と思われやすいが、ばらばらにしてしまえば力のない女性が運び易く棄て易いという理由。本当に残忍なら局部を抉るとか目玉を刳り抜くとかするらしい。えぐい

2010年9月に出た本なので、つい最近ニュースで見た事件も取り上げられているのが印象に残った。それぞれが章立てされていて、解説と共に50ちょい位 の事例が2~3ページ程度で載っていて、短編ミステリーみたい。そしていかにも医者らしい淡々で簡潔な文章がとても読み易い

病気で医者にかかって亡くなった場合は内因死(病死)で主治医が死亡診断書を書くけど、それ以外は全て変死扱い((外因死)自殺、他殺、災害事故死)になり警察に届けられるとの事。だから病死でも医者にっかってなかったり、突然死だったりは変死になるらしい

監察医制度というのは2010年現在、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸のみにしかないらしく、この五大都市の場合監察医が検死に出動するんだって。だがそ れ以外の地域は警察属託医が検死をする事になっている。死ぬなら大きい都市で、さらに変死なら監察医さんが本当の死因を考えてくれるかも

監察医制度というのは2010年現在、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸のみにしかないらしく、この五大都市の場合監察医が検死に出動するんだって。だがそ れ以外の地域は警察属託医が検死をする事になっている。死ぬなら大きい都市で、さらに変死なら監察医さんが本当の死因を考えてくれるかも

でもやっぱりそれは駄目だという事で、「医師法第21条の改正」「検視・検死のあり方を見直す」「検視官制度の充実」を提案として挙げている。例えば高血 圧の患者が急死したら心不全ですとは簡単に言えないし、警察属託医は飽くまで生きた人間相手である事。検視専門の警察官を教育せよ、と

ただ事例だけを書いただけでなく、今後の発展を見据えた提案をしている事が良いですね。完全犯罪がいかに難しいか考えさせられる上に、思ったより遺族がご 遺体をいじってしまう事が多いと思いました。殺人を自殺に見せかけるとか、世間体を気にして自殺を強盗殺人に見せかけるとか。少しびっくり
解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理 (ちくま新書)

ちくま新書、芝山雅俊「解離性障害 「うしろに誰かいる」の精神病理」読了。最近ちょっと不安定みたいで、幻覚と夢と現実がこんがらがってきたので。本当はこういう系の本は読む事を避けてたけど、僕の気質から考えても、自分と直に向き合うよりも、やはり本を通して遠くから見つめ直す方が自分のためになると思う

鏡恐怖、夢中自己実像視、デジャヴ等は解離以前の体験として顕著に見られる。そして解離の主観的体験として離隔、気配過敏症状、対人過敏症状、人影の幻視・幻覚、表象幻視、体外離脱体験、解離性幻聴等が見られる。この本で特徴的なのが統合失調症として診断され易い体感異常との関係性も述べている

症状はもうわかってるので良いとして、宮沢賢治と解離の関係は読んでいてとても面白かった。宮沢賢治の作品は日本文学が苦手な僕でもすんなり受け入れる事が出来た印象だった。それはもちろん宮沢賢治自身の作風や技量も関係しているだろうが、なんとなく似てたんだよね、自分と

僕の場合、夢を見る時は傍観している夢がほとんど。リアル過ぎて感触や音声や色彩なんかが鮮明過ぎて、夢だったのか起きて想像してたのか実は現実かわからなくなる。しばらくすれば忘れるんだけど。他人の行動をカメラのように傍観していて自分が出てくる夢はとても珍しい。だが、本当は自分の夢は自分視点で自分の感情で動くのが自然なのかな

あと、鏡は見てるとちゃんと自分を確認できるので逆に解離しそうな時に見る事がわりとある。でもふとした瞬間に鏡があると気配過敏で竦む事も少なくない。いずれにせよ鏡があると見てしまうのだが、ナルシストな訳じゃなくて見ずにはいられない

今日はここまで
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