忍者ブログ
ヴィレの個人用呟き備忘録。美術や読書なんかを中心にまとめるよ。 読むのならあまり信用しないで、気になったら自分で調べた方が良いよ。 飽き性だからいきなりやめるかも
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

美術公論社、佐渡谷重信「ブリューゲル」読了。僕はブリューゲルの絵よりも思想のあり方が好きなのではないかと最近思った。その思想のあり方を研究するのは後世の研究家であるが、しかもこの人の研究はわりと最近に始められたものなのだが、故に他分野における研究が確立された後なのであまりブレがないと思う

だけど、佐渡谷氏の本書は結構独自の解釈が多くて、こういう見方もあるのかと考えさせられた。ブリューゲルってどんな画家だろうって思って最初にこの本を 読むのは個人的にはあまりお勧めしないけど。当時のネーデルラントの思想が散りばめられてて、そういうの気になる人も楽しいと思う

例えば「ネーデルラントの諺」っていう作品があって中央下方に青い(青は不貞の象徴、マリア様の色でもあるけど)マントを着せている図があるんだけど、こ れは妻が不貞の罪を被せている様子なんだな。では妻の不倫相手はどこかというと視線の先の豚に囲まれて花を落としている男になる

これは「豚に真珠」の元ネタらしい。おおもとは聖書なんだけど。真珠はラテン語でmargaritaなんだけど、ネーデルラント人は仏語の聖書からこれを 学んだらしく、仏語の翻訳家がmargueriteって訳してマーガレットになっちゃったんだね。その後野草のマーガレットは薔薇に昇格したと

時々若干深読みしてるんじゃないかって思うけど、その深読みもちゃんと理由聞いてみると面白い深読みです。ブリューゲルの絵は見てると色々遊び心あって面白いよ。この人の書いた文章とかが残ってないから鑑賞者が頭使わなきゃならないとこが面白い。死人に口無しだね

16世紀って世界史的にみて一番面白いと思う
PR
La Biblioteca di Babeleシリーズ第11巻、E.A.ポー「盗まれた手紙」読了。相変わらず僕の先入観は酷いもので、ウェルズといえばSF小説と同様に、ポーといえば推理小説と思ってしまう。だって江戸川コナンのエドガー・アラン(・ポー)でしょ?

表題他、「壜の中の手記」「ヴァルドマル氏の病症の真相」「群集の人」「落し穴と振子」の5編。デュパンが出てくるのが表題の話なんだけど、wikiで初 めて知ったんだけどポーって別に推理小説そんなに書いてないんだね。新潮の「黒猫・黄金虫」は読んだけど、その時もあれ?って思ったのよ

「盗まれた手紙」は典型的な推理小説。推理小説をほとんど読んだ事ない僕でも「あ、これ推理小説だ」ってわかる…すごく馬鹿っぽい感想だな。個人的には 「ヴァルドマル氏の病症の真相」が良い、これはホラー小説をたいして読んだ事無い僕でも「あ、これホラー小説だ」ってわかる…

江戸川コナンは江戸川乱歩の江戸川なんだって。エドガー・アラン・ポーから江戸川ってつけたものかとずっと思ってたよ。日本文学もあんまり読んでないので知らないんだけど江戸川乱歩は推理小説家?

この命名騒動について、コナンから攻める派、ポーから攻める派、乱歩から攻める派と三者三様で面白かった… 結論、ポーからつけたのは乱歩で、乱歩からつけたのがコナンって事か。自分の無知が恥ずかしいんだな
La Biblioteca di Babeleシリーズ第10巻、蒲松齢「聊斎志異」読了。蒲松齢(ほしょうれい)の「聊斎志異(りょうさいしい)」と読みます。バベルの図書館における唯一の東アジア作品、要するに縦文字文化圏小説。聊斎というのは作者の号および書斎を指しているとの事

とはいっても蒲松齢「聊斎志異」と曹雪芹(そうせっきん)「紅楼夢(こうろうむ)」の中から何編か選ばれた短編集。メインは「聊斎志異」だけど、後半には 「紅楼夢」からの作品も入ってる。ボルヘスによると、中国で「聊斎志異」が占める地位は西洋で「千夜一夜」の書が占める位置に匹敵するとの事

「考城隍(氏神試験)」「長清僧(老僧再生)」「席方平(孝子入冥)」「単道士(幻術道士)」「郭秀才(魔術街道)」「龍飛相公(暗黒地獄)」「銭流(金貨迅流)」「褚遂良(狐仙女房)」「苗生(虎妖宴遊)」「趙城虎(猛虎贖罪)」「夢狼(狼虎夢占)」長いので続く

「向杲(人虎報仇)」「画皮(人皮女装)」「陸判(生首交換)」以上が「聊斎志異」から。「夢の中のドッペルゲンゲル」「鏡の中の雲雨」以上が「紅楼夢」 から。つまり「聊斎志異」から14編「紅楼夢」から2編の計16編。ちなみに()内は訳題になってるけど、なんか厨二病な雰囲気

バベルの図書館全集を読もうと決めた時に最も難儀するだろうと思ったのがこの本だった。中国小説なんか全然知らないです。道教文化なんて風水しか馴染みないです。そして「氏神試験」の冒頭「宋公、諱は燾(とう)という」を読んだ瞬間に蘇る漢文用語、書き下し文

だが、想像以上に読み易かった…読む前の拒否感が半端じゃなかったせいもあるかもしれないけど。ボルヘスも認める「簡潔で非個人的な報告口調と、諷刺的意 図」のせいで、西洋の幻想小説が怪異に巻き込まれ混乱する印象ならば、中国の幻想小説は怪異や不思議は不思議のまま受け入れる印象

なので、最初のうちはどうしても拍子抜けしてしまう。1編が短いせいもあるが、人物の心裡描写があまりないので。「魔術街道」あたりからこちらも耐性がついてきて面白くなってくる。個人的には「魔術街道」「人皮女装」「生首交換」が読み易くて面白かったな

さて、この編纂にはやたらと「虎」の字が目立つのだが、これは多分ボルヘスの趣味だと思う。「創造者」の中に収録されてる「夢の虎」や「別の虎」という作 品、バベルの図書館シリーズ22巻「パラケルススの薔薇」収録「青い虎」っていうのもあるし多分探せばもっとありそう。この人、虎大好きです
風景の思想とモラル―近代画家論・風景編 (近代画家論 (風景編))

法蔵館、ジョン・ラスキン「風景の思想とモラル【近代画家論・風景編】」読了。全5巻ある「近代画家論」の中の第3巻で最初に出版されたもの。だけど、現在出版されているのは3冊だけなので4、5巻は出版されてないみたい

この章までだと、風景画にはほとんど触れてなくて近代画家論に近い。偉大な絵画とは何かと語り、我々が偉大とする絵画には4つの誤謬があるとし、その誤説 の方向を指摘しているんだけど…難しいんだな、わかるようなわかんないような…もっともラスキン自身が19世紀の人だというのもあるだろうけど

4つの誤謬
1「画布が広い」
2「上品に装われた身体よりも裸体を描く事」
3「画家が見た事ないものや知らないものを描く事」
4「神聖な叡知が創造したものの全ての粗捜しや改善する努力」
これは現在でも言えている。キャンバスが大きいだけで偉いみたいな風潮はあると思う

例えば、できるだけ多くの美を取り入れる事は見た目には美しいが、真実を犠牲にしたともいえる。順位をつけるとすれば、
美しい人物を描いたレオナルド>精神的美を描いたコレッジオ>真実に配慮するデューラー>堕落崇拝画家
となる。それは誤謬になるのではないだろうか

ならば、真実を無視して美はどのように探究すればいいのか。そこで「虚偽の理想」という考え方を提示し、さらに想像力は真実を扱う際にはどのように現れるか(例えば歴史的絵画における真実と想像力の問題)という「真実の理想」という考えを提示した

で、虚偽の理想の種類として、宗教的理想と冒瀆、真実の理想の種類として、善を選び悪から離れる「純粋追求」、善悪の両方を受容する「自然追求」、悪を選び善から離れる「官能(醜悪=グロテスク)追求」にラスキンは分類し、各々の説明というのが8章までの内容

終わりまで一応読めた…けど、正直僕はこの本についての感想があんまり書けない。19世紀と現代の美術の考え方は随分違うなと考え直すには良い機会かもしれないけど

現代ではフランドル絵画は正当な評価をされているけど、19世紀では全然そんな事なくて、特に農民画の地位は酷いもんだった。で、叩いてるっていうか、これが当時の時代の流れだから仕方ないのだけど、なんか少し可哀想になってしまった…

この本の中で終始出てくるのがロマン主義の風景画家ウィリアム・ターナー。これでもかっていう位出てくる。そんなに好きかっていう位出てくる。なのでター ナー好きな人は読んでも良いと思う。絵具の会社でターナーってあるけど、多分この人が由来だろうし、ターナー絵具使ってる人も読んでみたら

ちなみにラスキンはアリス・リデル(ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」のモデルの女の子)の絵の先生してたらしいよ。しかもラスキンは幼女趣味だったとか(ソースはwiki)むしろアリスの魅力の方がすごい
La Biblioteca di Babeleシリーズ第9巻、H.メルヴィル「代書人バートルビー」読了。今まで読んだバベルの図書館シリーズで初めての短編「集」ではなく、短編1編のみの本。代書人って行政書士や司法書士の事なんだね、日本ならエリートだけど19世紀アメリカもそうなのかな

この序文でボルヘスは本作と「白鯨」との共通点と相違点を比較している。「メルヴィルのつねに変わらぬ主題は孤独である」という事を述べ、メルヴィル自身 の孤独との関連性を述べている…と僕は解釈した。「白鯨」読んでないんだよね…だって上下巻なんだよ…岩波だと中巻もあるんだよ…

法律事務所の新入社員である代書人バートルビーの物語。生気はないが上品そうな若者なので採用される事に。最初のうちはばりばり仕事をしていたのだが、所 長が口述を頼むと「せずにすめばありがたいのですが」と言ってその頼みを断ってしまう。だが、その「拒否」はどんどんエスカレートしていく…

ちなみにエンリーケ・ビラ=マタスという人の「バートルビーの仲間たち」という本の中には、バートルビー症候群というのもあって、文学的意識を持っているのに書けなくなってしまう症候群もあるらしい。小説家のジレンマというかスランプというか。案の定未読ですが

実はバートルビーの"I would prefer not to..."(せずにすめばありがたいのですが)の不服従の姿勢や抵抗の姿勢というのはブランショやジャック・デリダ、ドゥルーズやアガンベン等の錚々た る方々が考察を繰り広げているのですが、僕は一般人なので一般人の目で見た感想

どこに感情移入するかで物語に対する姿勢が変わってしまう気がする。僕は語り部である所長の方に感情移入してしまったので「なんて使えない奴だ」と徐々に いらいらしてきた。そしてそれは絶対にこの本の正しい読み方ではないので、なるべく客観的に、もしくはバートルビーに視点を当てて読んだ方が良い

結構むずむずしながら展開し結末を迎えるが、この結末しかなかったのかもしれない。もしかしたら先に考察を読んで、もしくは「白鯨」を読んでからボルヘスのように比較しても面白いと思う。ボルヘスの序文には「根本的には、この世の日常的な皮肉の一つである」と書かれていた
カレンダー
08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
PR
ブログ内検索

Template by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]